一夜明けて、いよいよ城巡りの開始です。
ホテルくでレンタカーを借りて、沖縄道の那覇ICから終点の許田ICまで北上し、さらに下道で本部半島の北端にある今帰仁城を目指します。
 
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 観光スポットとしては、ジンベイザメの美ら海水族館と海のきれいな古宇利島に寄って行きます。
 
 
 
📷 伊芸SAで小休止
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3日間、旅の足になってくれるFitクン まだ走行200kmの新人でした。
 
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伊芸SAではシーサーがお迎え 沖縄の各家庭には殆ど居ますが、屋根より門柱や塀の上が多いですね
 
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目の前はまだ金武湾ですが、ここでもうこの透明度は感動的です(^^)
 
 
📷 美ら海水族館
 広大な沖縄海洋博会場跡にある美ら海水族館にも寄って行きます。
 
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ここは定番の有名な水族館です 平日でもどんどん客が入って行きます
 
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水族館で魚介類を見てると、なぜか“食べる”目線になってしまいますね(^-^;
 
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1尾1万円はしそうなデカイ伊勢エビ
 
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鮮度バツグンの烏賊は刺身にするとコリコリで甘そう…
 
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日本一巨大な水槽も、ジンベエが泳ぐと狭く見えます
 
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広い水族館ですが、イルカやジュゴン、ウミガメなどは別館に居て、じっくり見るには1日かかりそう…
 
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目の前の海の透明度は世界でも屈指です 向こうの島は伊江島ですね
 
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シーサイドビューのレストランがあったので、ランチして行きます
 
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日本100名城 №98 沖縄県  今帰仁城  登城日:2018.7.17
 
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 別名           北山城
 城郭構造     山城
 天守構造     なし
 築城主        湧川王子(英祖王の次男)
 築城年        13世紀頃か
 主な城主     仲北山王:湧川王子、後北山王(怕尼芝王統)、第一尚氏(琉球王国)
 廃城年     1665年(寛文5年)
 遺構            城壁、石垣
 指定文化財  国の史跡、世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)
 所在地     沖縄県国頭郡今帰仁村今
 
 
 この日のハイライト、今帰仁(なきじん)城にやって来ました。
 
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ここが一番近い駐車場ですが、よく整備されてます
 
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駐車場脇には券売所兼休憩所 売店も充実してて、見学者の受け入れ態勢は100名城でもTOPクラスですね
 
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少し離れて、資料館もあります 此処は後で寄って見る事にします
 
 
 琉球のグスクの時代を初めて統一したのは源為朝であるという伝説があります。
朝は子の舜天に支配を任せ、その王統は三山に分かれるまで8代160年にわたり続いたというものですが、この頃の沖縄の歴史は史実と伝説と神話が入り乱れたもので、後世の創作の部分が大きい可能性があります。
 
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さっそく城址に入って行きます
 
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入り口には立体模型があります 写真は奥から見たアングルですが、縄張りや石塁の様子がよく判ります 万里の長城みたいですね
 
 三山に分かれた(?)時点の初代北山王:怕尼芝(はにじ)の頃にはもう今帰仁城は有った様で、北山王国の都となりました。
 北山王国の版図は沖縄本島の北半分に沖永良部島までの諸島を加えたエリアで、3代90年余り続きますが、明朝への朝貢頻度から経済力は三山で最も弱かったとされます。
 
 1416年、中山を制した尚巴志によって攻められ、家臣の裏切りで滅亡しました。
しかし、敷地1万坪余りと琉球最大の今帰仁城は廃城とはされず、北山監守と呼ばれる尚氏の代官が常駐し、北部の統治を行ないました。
 
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さらに入って行くと、目の前に現れる圧倒的な石の壁!
 
 1609年の薩摩藩侵攻では今帰仁城が最初の攻撃目標とされ、運天港に上陸した薩軍は城へと押し寄せますが、そこは守備兵が四散した後で、もぬけの殻だったと言います。
 薩摩藩の管理下となった琉球王国は、内乱に対する備えも重要ではなくなったので、北山監守も1665年に廃止され、今帰仁城は実質廃城となりましたが、城址は代々監守を歴任した今帰仁家によって管理され、現在に至っています。
 
 
《後編》へとつづく