栃木の城  飛山城  登城日:2018.1.21
 
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 別名        なし
 城郭構造  連郭式平山城
 天守構造  なし
 築城主    芳賀高俊
 築城年    永仁元年(1293)
 主な城主  芳賀氏(清原氏)
 廃城年    天正18年(1590)
 遺構      土塁、空堀、復元兵舎など
 指定文化財 国の史跡
 所在地    栃木県宇都宮市竹下町
 
 
 鬼怒川を渡って飛山城へやって来ました。
あまり聴かない名前かも知れませんが、この城址も何度も訪れた馴染みの城で、国の史跡にも指定され、復元整備が行き届いた城です。
 
 したがって、国道からの取り付け道路や駐車場だけでなく、資料館、体験学習館などの施設も充実しています。
 続百名城が発表されたとき、当然入ってるものだと思っていましたが、洩れましたね。
やはり知名度不足が原因かなぁ…。
 
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飛山城は鬼怒川左岸の段丘上にある平城です
 
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国の史跡に指定され、土塁と堀がきれいに復元されています
 
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土塁には等間隔に櫓台があり、最終は戦国後期の城だった事が判ります
 
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入り口には駐車場と資料館があります
 
 
 飛山城は鎌倉末期の永仁元年(1293)に芳賀高俊によって築かれました。
芳賀氏とは清原氏の末裔と言われ、飛山城の15kmほど南の真岡に流刑になって定住したのが始まりだそうです。
 
 その為か芳賀氏の本拠は真岡城…というイメージが有りますが、それは高俊の5代後の高貞からの事で、高貞は宇都宮氏から入った養子なので、佐竹氏に対する戦略的措置と思われます。
 
 飛山城のある一帯は古くから“清原”と呼ばれているので、この辺りで力を蓄えた後に郡名の芳賀を名乗ったのでしょうね。
 
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土塁の上は細い帯曲輪になり
 
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すぐに次の堀が並行して走っています
 
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土橋を渡って虎口を入ると
 
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中は平坦で広大な郭が広がっていました
 
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現在の見学出入り口は搦め手だった様です。
外側には堀と土塁が二重に走り、帯曲輪を挟んで防御性を高めています
中の郭は中堀で戦時の籠城エリアと平時の居住エリアに分けられていて、籠城エリアの奥に当主の居館を含む本丸が有った様です。
 
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この虎口を入ると戦時のエリアです
 
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ここも相当な広さが有り
 
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以前は無かった建物群が…
 
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中を覗くと、兵舎の様ですね。
夏は涼しそうだけど、暖はどうやって取ったのでしょうか? コンセントが有るから電気ストーブは使えるけど(^-^;
 
 
 芳賀氏と宇都宮氏は平安末期にはもう協力関係にあった様で、頼朝の奥州征伐では宇都宮氏として参加し活躍しています。
ただ、まだ主従よりも同盟に近い関係だった様で、鎌倉幕府は芳賀氏と益子氏は宇都宮氏とは違う、個別の御家人として扱った様です。
 
 それが、鎌倉後期からは血脈の融合が進み、宇都宮氏から芳賀氏へは3人の当主が送り込まれ、芳賀氏からも2人の宇都宮氏当主を出しています。
 おそらく妻妾のやりとりはこの何倍もあった事でしょうから、戦国時代になる前には完全に同族化してた様です。
 
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この狭い堀を渡ると、当主のエリアですね
 
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土塁が高めに巻いています
 
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その北側は高い崖で、鬼怒川の広い河原に面しています
 
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この丸石は投石用ですね
 
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西側からは、宇都宮城の様子が見渡せた事でしょう
 
 
 しかし、宇都宮氏との関係は良い時ばかりではありません。
他の家臣が優遇される時は蔑ろにされる訳で、宇都宮領の1/3を有する芳賀氏は大きな脅威でもありました。
 
 そんな時には宇都宮城から二里(8km)の距離にあり、見下ろす事ができる飛山城は、芳賀氏の本拠として機能していたのでしょうね。
事実、宇都宮城が壬生綱雄によって乗っ取られると、奪還を目指す勢力が集結して出陣したのはこの飛山城でした。
 
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居住のエリアに降りて来ました また、とてつもない広さです
 
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狼煙をあげる施設の様ですね
 
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こちらは半地下構造だから、食料貯蔵庫か?
 
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端から端が見渡せないほど広いです(^-^;
 
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外堀の南側はまだ未整備の様ですね
 
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土橋を渡って帯曲輪へ いつもの城歩きの景色です
 
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外側の堀の外は、住宅地になっていました
 
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南東の角にあった虎口跡 櫓台もあるので、ここが大手口ではなかったかと思います
 
 
 天正18年、北条征伐後の宇都宮仕置きで秀吉は、宇都宮氏18万5千石の所領安堵を採決する一方で、『要らざる城は破却せよ』と命じました。
これにより、飛山城は廃城となった様です。