2018年の初詣で、元旦に地元の氏神様(稲荷神社)にお参りしましたが、『もっとメジャーな所にも行かないと落ち着かない』との家族の声に、三が日を過ぎてから出掛ける事になりました。

たまたま『期限切れ間近な青春18切符があるよ』との声に多少の作為を感じながらも、これを前提にプランニングします。
普通に“伊勢神宮”にすれば良かったのですが、この切符のコスパが足を引っ張って、最終的に和歌山県新宮市の“熊野速玉大社”まで行く事になりました。

早起きして紀勢本線の始発駅:亀山駅まで車で移動し、6:08発の始発列車『新宮行き』に乗り込みます。
この両駅はともにJR東海とJR西日本の境界駅で、この列車はJR東海の端から端までの編成です。
新宮まで乗り換え等の煩わしさは無いのですが、40もの駅に停まる各駅停車で、片道3,350円とコスパは良いものの、4時間13分もの間同じ席に座りっぱなしの過酷な長旅のスタートです。
(特急に乗れば2時間)

車窓の風景:海に出ました(尾鷲付近)
松阪を過ぎ、大台に差し掛かる頃やっと日の出を迎えます。
この後、南紀の海岸線に出ると、綺麗な景色も旅の友にできる路線の筈ですが、各駅停車の列車は“通勤通学の足”が前提の様で、ベンチシート仕様なので観光気分にはイマイチな環境です。
無理に振り返って見る景色も、線路脇の整備が行き届かないのか、雑木や雑草が生い茂ってよく見えません。
これは観光主体の特急列車でも同じだと思うので、折角の観光資源を無駄にした“負のスパイラル”に陥ってる感じがしますね…。

車窓の風景:独身の頃によく来た熊野市の新鹿海岸(今も綺麗な浜です)
それでも定刻通りに、10時半前には無事に新宮駅に着きました。
駅から熊野速玉大社までは1km弱の道のりなので、迷わず徒歩で向かいます。

新宮駅ホーム 大阪方面からの電車は洒落たのが走っています やっぱ関西圏ですね

新宮駅は昭和の佇まい
駅前から商店街を抜けて、“参道”と思しき道を歩いて行きますが、“昭和”を思わせる街並みが続いており、観光地の難しさを感じます。
近年に世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されたのを機に、“熊野古道トレッキング”が脚光を浴びていますが、そのベース基地とも成り得る新宮にはもっと頑張って欲しいものです。
伊勢神宮が“お祓い町”で再活性化した様に、大きな政策が必要なんでしょうね。

さて、目的地の熊野速玉大社です。
平安の昔に確立され、現代まで続いている“熊野詣で”の目的地のひとつです。

大鳥居は残念ながらコンクリート製でした
俗に“熊野三山”と呼ばれる三社は、この新宮市街地にある速玉大社と、新宮川の20km上流にある本宮大社、そして10kmほど南西にあり那智の滝をご神体にする那智大社を指し、この三社を巡るのが“熊野詣で”なのです。

巡るルートとしては、当時の首都の京都からは、大和路または河内、和泉を通って和歌山に出て、海沿いを田辺まで南下してから“中辺路”で山を越えてまず本宮大社に詣で、次いで川船で新宮川を下って速玉大社に詣で、最後に那智大社に詣でて、海沿いを田辺へと帰って行くのが一般的だった様です。
那智大社から本宮大社に戻る“大雲小雲越え”ルートや、大和から十津川越えで来る修験道、さらに江戸期に“お伊勢さん参詣”が盛んになると、伊勢神宮からハシゴ参詣する伊勢路なども整備され、総称して“熊野古道”と呼ばれています。

御神木となっている梛木の巨木 八本の木が癒着して育ったものだそうです
梛木の葉は千切れないほど強いので、縁起物として大切にされました

この熊野信仰の起源なのですが、西暦720年に編纂された日本書紀にはもう記載されている古いもので、神話の“神武東征”で熊野に降り立った神武天皇は此処から"八咫烏”に導かれて紀伊山地を越え、大和に入って王権を造った…と言われています。
その神話に由来する熊野地方は古くから“聖地”とみなされていて、“神仏習合”の中で修験者の修業の地であった様ですね。

熊野には神社仏閣が整備され、その修業の中で夫々に悟りを開いた僧達にとっては、この地が極楽往生の霊場とみなされる様になりました。
その後、平安後期になって阿弥陀仏の浄土信仰が盛んになると、熊野=極楽浄土という認識が広まり、貴賤を問わない“熊野詣で”へと発展して行くのです。
中でも後白河帝は生涯に34回も行幸されたそうですから、天皇でさえ年中行事となっていた様ですね。

速玉大社の謂われを描いた曼陀羅図

今年はマイペースで堅実が宜しい様です(^-^;
新宮の駅近で、一番参詣しやすい速玉大社ですが、最初からこの場に創建された訳ではなく、元は1kmほど西の神倉山の山腹にあったそうです。
断崖絶壁の上に建つその社は、参詣者が容易には登れない事から、現在の地に『神様が降りて来てくださった』そうで、現在も速玉大社元宮の神倉神社として社殿があるそうなので、そちらにも行ってみます。

神倉神社の登り口 石段が急です

神倉神社へは120mの標高差の崖を登って行きます。
源頼朝が寄進したという538段の石段を登って行くのですが、この石段がまた急で、体力以上に恐怖心との闘いになります。
判りにくい例えで恐縮ですが、バンコクのワットアルン(暁の寺)に登った時の事を思い出しました(^-^;
この石段に神主さんのヒラヒラの衣装と木靴では…ちょっと厳しいですね。
*神官らしき人が榊を取り換えにやって来ましたが、案の定ジャージ姿にスニーカーでした。

後ろの巨岩がご神体です

今回の初詣では速玉大社1社のみの参詣になりましたが、近いうちには熊野古道を歩いて、三社を巡って見たいものです。
さて、帰路もまた4時間13分の長旅です。 次からは特急にしよう(^-^;
