墓参りが続いたので、次はまた七口の切通しを訪ねて、鎌倉の防備を見て行きます。

金沢街道に戻り、報国寺交差点から南に折れて“宅間谷”に入って行きます。

谷間に入ると間もなく右手に“報国寺”が見えてきます。
この寺は上杉氏の氏寺で、竹林のきれいな“竹林寺”として観光の名所にもなっていますが、此処は明日にでも訪れる事として先を急ぎます。
この谷間を登り詰めると名越に出て、鎌倉から逗子・横須賀方面に抜ける“浦賀街道”に合流します。
そこが鎌倉七口のひとつ“名越口”であり、“名越の切通し”があるのです。

華頂宮家は江戸末期に創設された伏見宮系の宮家で、大正時代に絶家しました
報国寺を過ぎて、旧華頂宮邸を左手に見てしばらく登ると車道は終わり、遊歩道に入って行きます。
この道も所々に切岸があり、地蔵さんなども点在するので、実際に当時の人達が使っていた間道なのでしょうね。


路傍にさりげなく地蔵さん
もう昼を大きく過ぎて、疲れが出始めていましたが、こうゆう環境を歩いている時は疲れを忘れます(^-^;
遊歩道に入って10分あまりで尾根上になり、大きな住宅団地の脇に出ました。
『逗子ハイランド』、歩道は団地に沿って南に平坦で進みますが、見える景色は開発で大きく改変されており、仕方ない事ですが少し残念。

この辺り 西には富士山が見えます
歩道はやがて団地から離れて南の山中に入って行きます。
右手に『パノラマ台→』の看板があり、眺望スポットの様なので少し休憩します。

六畳ほどのこじんまりした展望台

相模湾が一望できます
また遊歩道に戻って林間を進んで行くと、突然前面の景色が開けます。
ここは“大切岸”と言われる場所で、切岸の上に出た訳ですね。
高さは5mほどか?
いつも城址では高石垣の上に立つ悪癖が有るので、そんなに高さは感じませんが、遊歩道は崖上を続いているので、当時の守備兵の視点でしばし妄想タイムです。


この切岸は近年の研究で、“防備のための切岸ではなくて、単なる採石場”という見解がなされています。
なんだ…(*_*) となりますが、確かに採石痕はあるものの、離れて全体を見ると防塁機能を損なわない形で採石が行われているのが判ります。
学者さんも、そんな言い方をしてほしいものです。


常夜灯?
遊歩道はまた林間に戻って、少しアップダウンをすると街道に出ます(同程度の道幅だけど)。
この辺りの地名を名越(なごえ)と言い、昔の街道での峠越えが厳しかった=難越え から来てるのだそうです。

道幅は広くはありませんが、当時の感じがよく遺っています

道沿いにちょっと平場があります
目的地の切通しは少し坂を下った所にあるので、左に折れて下って行きますが、途中にまとまった平場があります。
いわゆる武者だまり、馬出しの機能なのでしょうか? それとも遊女が化粧をしたか?(^-^;
そこを過ぎるとすぐ『まんだら堂たぐら 本日公開中』という看板が掲げてありました。
まんだら堂やぐらは非公開という事前情報だったので、これはラッキーです。

さっそく登って行くと、説明の係員が3名居て、見学者も20名ほど集まっていました。
この場所は当時の“火葬場+墓地”なんだそうです。


一通り見学して人が掃けた頃合いを見計らって、いろいろ聞いてみました。
狭い鎌倉では当時から火葬が普通で、骨は石塔の中の空洞に収められ、やぐらに安置されたそうです。1塔1体ですね。
此処に葬られた人は主に下級の武士と僧侶だそうで、上級の武士・僧侶は菩提寺のやぐらに葬られ、庶民は砂浜に土葬か、地獄谷に遺棄される風葬だったのだそうです。
せっかくですから、七口を歩いてる事を伝え、情報収集します。
あまり深くはご存知ない様でしたが、最初に訪ねた“極楽寺坂切通し”は、『当時の底道は今の成就院の参道なんですよ』と教えてくれました。
なるほど、場合によっては“百見は一聞に如かず”ですね(^-^;

その1で紹介した極楽寺坂切通しです
まんだら堂を出て下って行くとすぐ切通しになり、大きく三つの切通しが続いています。
特に最後の切通しは『鎌倉の切通し』として画像でよく見るモノで、象徴的なものですね。
『目的地にキタ~!』って感じがします(^^)
七口のもう六つ目ですが、此処がダントツ一番で当時の姿を留めている気がします。

最初の切通し

二つ目の切通し

最後の切通し この絵柄はよく目にしますね

上から見るとより狭さが判ります
この先は三浦氏の領地ですから、街道の用途としては一族の鎌倉との行き来と、海産物の搬入などでしょうか。
地理的に舟で上総へ渡る人が通ったかも知れません。
いずれにしても交通量の多い主要な道ではないと思うので、近年に大幅に手が加えられる事がなかったのでしょう。
それに、鎌倉市街から少し離れているので、住宅開発の影響も最小なのが幸いしてますね。
とにかく、鎌倉の切通しをひとつだけ訪れるなら『名越切通し』がイチオシです。(いまのところ…)

次は来た道を少し戻り、逗子ハイランド脇から西の大町方面に下りて行き“釈迦堂切通し”を目指します。
この切通しは鎌倉郭内の谷を繋ぐ生活道路の切通しで、郭外からの虎口機能ではありませんが、岩盤をくり抜いた洞門が象徴的な、名所のひとつです。
しかし残念なことにこの切通しは“崩落の危険性”が指摘されて、2012年から通行止めになり、現在も解除されていません。
でもGoogleのストリートビューで見るとフェンスの場所から洞門が見えるので、実物を見に行ってみます。
また、切通しの脇には“北条時政の山荘跡”と言われる遺跡があり、時政邸であれば比企能員が誘いだされ騙し討ちされた“名越邸”である可能性もあるので、興味深い遺跡です。
通行止めフェンスの前まで来ました。
必要以上に高いフェンスが使われ、フェンスの前は近隣のお宅の駐車場と化しいます。


それに雑草、雑木が生えて荒れた状態で、期待したほどよく見えません。
しかし、もう5年以上も閉鎖してるのに、補修工事などが為された形跡がなく、おそらく一切手付かずの状態と思われます。
なんか、直感的に嫌~な感じを持ちながら、時政の山荘跡へと向かいました。

来た道を少し戻って、左に折れて坂道を登って行きますが、もうPM3:00 登り坂がだいぶキツくなってきました(^-^;
登り詰めた小さな住宅団地の西の端が遺跡なのですが、此処も立ち入り禁止になっています。

素性が確定していないから史跡には指定されてないだろうし、私有地だそうですから宅地造成して売り出すのかな?
この辺りは南向きの緩斜面で、住宅地には絶好のロケーションですから、新しい住宅がどんどん建っています。
そうした住民にとっては、切通しを訪れる観光客なんてハッキリ言って邪魔者ですからね…。
住宅地の史跡めぐりの難しい所です。

取り敢えず、“歩行や撮影のマナーを守り、必要な買い物や食事は現地でする“ 最低限の心得ですね。
次は2日目の最後、またお墓めぐりです。
つづく