先々週に続きまた鎌倉に来ています。
今回は1泊2日のスケジュールで残りの鎌倉を歩き尽くす覚悟でやって来ました(^^)

2日目のスタートは鎌倉駅から。
前回に行けなかった建長寺(北鎌倉駅が最寄)からにしたかったのですが、拝観は8:30からなので、先に巨福呂坂切通しから始めようと思います。

“古都鎌倉”と銘打っての旅ですが、鎌倉の街を歩いて見ると幾つかの顔を持っている事に気付きます。
まずは豊富な歴史遺産に彩られた“古都の風情”で、まさにこれを訪ね歩いているのですが、若者中心の観光客の多くにとっては歴史遺産は脇役で、そのバックグラウンドと調和しながら技を極めてるグルメスポットの様な、新しい価値と文化の創造を楽しんでいる気がしますね。

鎌倉一の繁華街 早朝で人通りもまばらですが、昼前からはアメ横状態になります

調和よりも個性をウリにした店構えが多いですね

そして、住環境としての鎌倉も特に人気が高い様です。
限られた土地だから、それを得られる人も限られるのですが、意匠を凝らした高級注文住宅が立ち並び、欧州車が走り廻る“セレブの街”でもある様です。

鎌倉駅から北へ、“小町通り”を抜けて、鶴岡八幡宮の杜を右手に見ながら雪ノ下を過ぎると、巨福呂坂への入り口があります。
近世に大工事で県道が開通し、交通量も多いのですが、前回に書いた通り此処は鎌倉七口の中では主要な入り口ではなく、工事により遺構も多くが破壊された“失われた切通し”とも言われて、史跡保全~観光地化とは無縁の様です。

案内看板などは無いものの、県道から左に折れて坂を登って行く狭い道路があり、地図上からもこれが旧道と思われるので入って行きます。

旧道の坂道の中どころにこんな場所がありました 明治以降の事と思われますが、急な峠を避けるトンネルが掘られてたみたいですね。

道はだんだん細くなりながらも、坂道は続きますが…

最後は民家の敷地になって終わっていました
こんなロケーションの場合、地主さんが快く通してくれる事はまず期待できません
こちら側からのアプローチは断念ですね。
こちら側からのアプローチは断念ですね。
元の県道に戻って、山ノ内側へ抜けて行きます。
県道の傾斜は緩やかで坂と呼ぶほどのモノでもありませんが、それだけに山は大きく(高さ30m以上?)削り取られていて、崩落防護の洞門の形式になっています。

洞門の形になったのは平成5年と最近の事でした

七口で一番坂が険しかった巨福呂坂口が、一番通りやすい道になってるギャップがこれですね。
しかし極楽寺坂の様なほぼ直線の切通しならともかく、険しければ険しいほど取り付け道路は複雑になるので、何も残ってない筈はありません。

〇印の、あの辺りに何か遺構がありそうな気がしますね。
しかし、あそこへ行く道筋が無いので、確かめる術がありません。
しばらく観察して見たら、この先にある円応寺の敷地と接してそうなので、取り敢えず円応寺に入って見ます。
ちょうど掃除中の住職(?)がみえたので、訳を話して通り抜けの承諾を得ます。
『墓地の奥から細道があったけど、今は危険だからフェンスで閉じてますよ…』
との事でしたが、ダメ!とは言われなかったので、
『じゃあフェンス際まで行ってみます』
と、半ば強引に入れて貰いました。
この後の5分ばかりは記憶が飛んでるのですが、気付けば崖の上に立っていました(^-^;


県道はかなり下 30mでは利かない比高差です

そして最後に折り返して尾根に登る道の痕跡が… これは険しい!

頂上にはフェンスがあるけど、これが切通しでしょうか?


やはり、有りましたよ! 幸先の良いスタートです。
思わぬ収穫に気を良くして、次は山ノ内の寺院群で未訪になっていた建長寺になだれ込んで行きます。

こうゆう看板の書き方 あまり良いイメージがありませんが…
さすが鎌倉五山筆頭で鎌倉でも屈指の大寺院、総門から三門、仏殿、法堂、庫裏と続く巨大建築が圧倒的な威圧感を醸しています。
威圧感は拝観受付の窓口まであり、寺容がほぼ同等な円覚寺が拝観料300円なのに対し、こちらは500円も取ります。

大きな建造物の屋根が見えてます
その差(観る価値の高さ)は何なの?…と、やんわり説明を求めましたが、受付のお姉さん(元)は『私が決めてる訳ではないので!』と言わんばかりでした。
拝観料が最大の収入源だと思うのですけどね…。


山門ではなく、三門と呼ぶんだそうです

いちおう、建長寺の説明です。
5代執権:北条時頼の創建で、建長5年(1253)宋からの渡来僧:蘭渓道隆により開山されました。
正式な名称は巨福山(こふくさん)建長興国禅寺と言います。
北条時頼とその子の時宗は深く禅宗に帰依していた為か、大寺院の建立はこの親子によるものが多いですね。
これまで見た中でも鎌倉七口の外側は、火葬場や墓地がある場合が多く、この建長寺ある場所もかつては刑場で、別名:地獄谷と呼ばれていたそうです。


非公開ですが子院も立派なのが多いです

御利益がありそうな名前です(^-^;
その為か、建長寺のご本尊は釈迦如来ではなく地蔵菩薩が祀られているのが大きな特徴になっています。
鎌倉後期の建長寺は幕府の“官寺”として位置づけられていたので、規模も大きく立派である事が必然でした。
此処も49の別院(塔頭)を持つ大寺院で、そのうち現在に残るのは12院のみですが、誠に堂々とした威容を誇っています。

唱歌:鎌倉より ♪建長円覚古寺の 山門高き松風に 昔の音やこもるらん
次は郭内に戻って八幡宮に入って行きます
つづく