人形の題材はと言えば、初期(江戸中期)は歌舞伎や能楽を題材に、日々の平穏や子供の成長を祈念したものが多いのですが、明治になると王政復古を反映してか神話に基づく神々が多くなります。
そして昭和、特に戦後に造られたものは川越の成立や発展に関わる実在した武将などが多くなっていますね。

この山車は新しいですね。納曾利の山車は…去年に造り替えたばかりですね



山車4台でお囃子の競演です

基本が歴史ブログなので、そんな川越に寄与した人物の山車を挙げてみると…
・俵藤太(藤原秀郷) 喜多町 平安時代に活躍した坂東武者の元祖的武将
・河越太郎重頼 中原町 鎌倉時代川越を拠点に武蔵国最大の勢力を誇った川越の名の由来と
なった武将
・仙波二郎安家 仙波町 鎌倉時代 川越南部から富士見野までの地頭
・太田道灌 連雀町 扇谷上杉家の家宰で河越城を初めて築城した
・徳川家康 脇田町 江戸に幕府を開き関東を日本の中心にした英雄
・松平伊豆守信綱 旭町三丁目 “知恵伊豆”、川越を商都に発展させた藩主
・徳川家光 新富町一丁目 江戸三代将軍 春日局、信綱との繋がりが深い
…と、7台の山車が実在の川越に縁のある武士ですね。
山車はこれからも増えてく傾向の様ですから、そのうち『春日局山車』なんてのが出来るかも知れませんね。
それに、戦国武将がポッカリ居ないのが寂しく感じますね。
川越で戦国といえば、まず扇谷上杉家で、これは太田道灌とカブるから上杉家の誰かになるのですが、…名前が出て来ません^_^;

続いて来たのは 山王の山車 なかなか立派です

この山車は三輪なんですね。 この方が曲がりやすいけど、倒れやすいから慎重に
次は北条氏ですが、北条氏は他の戦国大名に比べて年貢の軽い善政を敷いてた事で有名ですが、“北条の恩”みたいな逸話になかなか出会えず、不思議な気がしています。
当時の民衆は北条の治世をどう受け止めていたんでしょうね?
強いて挙げれば、河越夜戦の当時に河越城主だった、北条綱成(ほうじょうつなしげ)かなぁ。
北条氏綱の娘婿で、黄地に『八幡』の旗印の北条の武将の中では勇猛果敢な武将として知られた人ですね。

天神様の山車も来て、賑やかになって来ました
まだ見てない山車を探して曳行エリアをブラブラして見ます。
蔵の街通りの東側の市役所通りは、まだ電柱の埋設化が手付かずで、此処を通る山車は頻繁に高さを変えて苦労してるのが判ります。
中には電線を押し上げながら進んで行く猛者の山車もありますが、多分下の方のは電話線やケーブルTVの線なんでしょうね。

ん! これは顔が電線に引っ掛かるなぁ


こうゆう場所では、鳶方が上に登ってと…

あらよっと! ちょっとピリピリするかも(^-^;

川越の山車の昇降機能はこの為に有るのですが、文明の利器と伝統の祭りを両立する為の知恵で、人智を尽くして安易に違うやり方に変えないのは、川越人の意地というか心意気を示している様で、なんかイイ気分になります。
現代の世の中、電線の埋設なんか普通に行なわれてる技術なので、早めに工事して頂いて全部の山車が最初から最後まで人形を出して曳き回せる日が遠からず来るのでしょうね。

まつり会館の庭に日本全国の祭りのポスターが貼ってありました 山車まつりは瀬戸内沿岸が多いですね

あれ、道灌さん、もう中に入って来たの? 『うむ、矢を直しておったんじゃが… や~ねぇ、てか?』
最後に、関西人の目から感じた祭りの印象ですが、山車の豪華さや警備体制などのインフラが凄く整った上質感があって、観衆の多さもあって“大規模で上等な祭り”という印象を強く受けました。
その反面、威勢のイイ若衆がたくさん居る訳でもなく、そうした連中がテンション上げて観衆を煽り、観衆もそれに応えて一気に盛り上がる様な一体感は皆無でした。

日没が近付いてきて、人出が増えて来た気がします

山車もライトアップを始めてますね
年に一度だけ、バカになって日頃の憂さを吹き飛ばす…みたいな祭りの在り方は関西特有のものなのかな?

駅の裏側のロータリーでは、若衆が神輿を担いで盛り上がってました
おわり