続いて春日部家の故郷、埼玉県の春日部市を訪問します。
 
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結構大きな町だと思っていましたが、玄関口の駅舎はちょっと寂しいですね
 
 伊勢春日部家については、伊勢平氏の末裔の説と紀氏の末裔の説があり、前回はどちらも特定が困難だったので、平盛国の子孫が鎌倉政権の下で下総春日部氏(こちらは紀姓で間違いなさそう)と縁戚を結び、春日部を名乗ったという大胆な仮説を立てて一旦結びました。
 
 春日部家の御子孫の方からもメールを頂き、個人の方にとってのルーツに迫る影響や責任を痛感したので、今回下総春日部家の本拠に来て、そのあたりの精度を上げたいと同時に下総春日部家の関東での活躍ぶりにも迫ってみたいと思います。
 
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今日は夏祭りみたいです
 
 
下総春日部家 調査
 春日部は埼玉県の最東部にあって、利根川(古利根)をはさんで千葉県の野田と接しています。
埼玉県は旧国名で言えば武蔵が殆んどですが、この地域だけは利根川の流路の為か下総国葛飾郡下河辺荘となっていました。
 江戸時代には日光街道の宿場、粕壁宿として賑わいましたが、近年は東武鉄道で浅草方面や埼玉副都心に一本で行けるため、ベッドタウンとしての開発が進んでる町です。
今回は大宮から東武野田線で向かいます。
 
 春日部駅で降りて、赤堀と同じ様に最初は郷土資料館に向かいます。
偶然ですが、今日は春日部夏祭りの当日で、各町内で陣屋がしつらえてあり、神輿練りの行列を見掛けました。
 しかし、春日部市自体が過疎化してるとは思えませんが、神輿の担ぎ手(引き手)は子供とお年寄りが中心で、若衆の姿をあまり見掛けません。
昔ながらの中心街は過疎化してるのかも知れませんね。
 
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郷土資料館がある春日部市教育センターです
 
 
 神輿練りを見ながら歩いて10分ほど南下して、郷土資料館に着きました。
ここは春日部市の“教育センター”という機能の建物で、その1階のロビーに面して郷土資料館というコーナーが開設されています。
 入館は無料で、中はストロボNGながら写真撮影もOKで、各展示コーナーには無料配布の資料が用意されています。
アマチュア歴史愛好家にはこの上なく有難い施設です(^^)
 
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入るとすぐ迎えてくれるのが竪穴式住居の縄文家族 漁労に適した土地だったのでしょうね
 
 展示の目玉は江戸時代の“粕壁宿”のジオラマですが、そう広くはないものの各時代の展示が洩れなく順を追って判りやすく展示されています。
肝心の“中世”のコーナーでは地元の武士の代表として春日部家の動きが中心に展示されています。
 
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粕壁宿のジオラマは立派です
 
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春日部氏が土着した頃の近郷の豪族の様子が判ります
 
 居館跡といわれる浜川戸遺跡での発掘調査の様子や出土品の写真もパネル展示してありますが、春日部家については研究成果をまとめた冊子も有るみたいで、館内資料につき館内閲覧のみ可能と書かれてるので、さっそく受付に申込みます。
 
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春日部家の館跡から出土したという石碑板
 
 すると受付嬢は原本以外にコピー版もあります。こちらならお渡しできますが?という意外な返事なので、迷わずコピー版を貰う事に。
更に他にも企画展の資料は全部ありますから、欲しい資料は申し出てくださいいう有難いお言葉なので、
春日部家に関する企画展はどんなモノをやってるんですか? と問うと、
『…ちょっとお待ちくださいと奥に消えて、すぐに館長さんを伴って戻ってきました。
 
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これは、も少し古い時代の坂東武者の分布ですね
 
春日部家の何をお調べですか?と問われて、館長さんに来訪目的を嚇々直々話すと、
伊勢の春日部家って、萱生氏の事ですよね? そもそも家系図が違うし、こちらの春日部家とは違う氏族だと思いますよ
 
という冷静な反応なので、三重県側での調査内容を伝えて、同族の可能性を探りますが、
春日部という地名は他の地域にもあり得ますから、確証の高い資料でも出ないとと、否定的な見解は変わりません。
 
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資料館の一本東の通りが旧日光街道ですが、もう面影は殆どありません
 
 
 館長さんが言われるには、鎌倉期の春日部家と南北朝期の春日部家でさえ、果たして同じ氏族かどうかの確証が無く、後者は越後の長尾氏系の支族の可能性も言われていました。
 
 春日部という土地はもともと春日部で、そこに土着した武士が春日部家を名乗っただけの縁なんだそうです。
 
 春日部は江戸時代には粕壁と改名していますが、昭和になってから春日部に戻しました。これもかつての領主:春日部家を偲んでの事ではなく、粕壁町と内牧村が合併する際、吸収合併のイメージを少なくする為に旧名の文字に戻す事を選択したんだそうです。
 
 
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数少ない旧家屋の傍に町内のお祭り陣屋 出払って無人でしたが
 
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その後に出会った神輿練りの行列 若衆の勇壮な練り歩き…だったんでしょうね、昔は。
 
 それ以来、時代柄か南朝の功臣だった春日部重行を採り上げ市祖として、毎年春に春日部重行公祭りをやってはいるものの、市民の端々まで浸透した地元の英雄ではないという事らしいです。
 ただ、春日部家の末裔が会津に移住して、江戸末期に親戚を頼って伊勢に移住したという話には少し興味を示してくれました。
公的文書でなくても、過去帳や本人の口述で伝えられた話でも、比較的新しい幕末の事なら作為のない話である可能性を感じたんでしょうかね?
 
 最後に名刺を頂いて、館長さんは大学の講師もされてる様で、物証が無いと迂闊な事は言えない学者さんの辛さが垣間見えました。
 
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貴重な資料を戴きました
 
 
 では、≪後編≫では郷土資料館で頂いた資料春日部氏と浜川戸遺跡展を基に、下総春日部家の足跡を辿ってみます。
 
つづく