大河ドラマ『おんな城主 直虎』も半分終わろうとしています。
主演が柴咲コウだし、奈々緒も出てるし…娯楽時代劇としてはアリかなと、毎回楽しく見ています(^^)
 
 
イメージ 1
 
井伊谷城のある城山
 
 井伊谷城址と龍潭寺はかなり前に単体で訪れた事があります。
井伊氏の出自にまださほど興味を持っていなかった事もあり、鮮烈な記憶は残っていませんが、ドラマの中で次々に登場する人物がさほどメジャーではない分、背景や舞台となる場所が新鮮で、ふと訪ねて見たくなり、行って参りました。
 
イメージ 5
 
見事な龍潭寺庭園 小堀遠州作です
 
 
 ただ、今さら感もあるので、観点をドラマの今後のストーリーに被せて見て行きます。
 
 
 
 現時点では井伊家当主として苦しみながらもなんとか切り盛りしてる直虎ですが、この後、今川氏真の強い命令があって、家老の小野政次はクーデターを起こして井伊谷城を乗っ取り、直虎を龍潭寺に監禁して実権を掌握します。
 この政次の行動に危機感を覚えた“井伊谷三人衆“と呼ばれる家臣の菅沼忠久、鈴木重時、近藤康用は徳川家康に助けを求め、家康の軍を引き入れて政次を捕え、処刑してしまいます。

 

イメージ 2
井伊谷三人衆』 左から菅沼忠久、鈴木重時、近藤康用 まだ存在感を発揮してない三人ですが、夏場のキーパーソンです(史実では)
 
 
 家康は井伊谷を足掛かりに今川領の曳馬(浜松)まで攻め込んで東遠江を手中にし、同時に駿河には武田勢が攻め込んで、東西からの侵攻で今川家は滅亡します。
 この流れの中で直虎が井伊家当主の座を回復したかどうか定かではありませんが、井伊谷城には近藤康用が入り、徳川に臣従する形となってしまいます。
 
 今川領の駿河と遠江を分け合った武田・徳川両家でしたが、その形も長くは続かず、武田信玄の西上作戦が始まり、先方の武田軍は山県昌景が指揮して西の三河長篠から井伊領に侵攻して来ました。
武田最強軍団の襲来に直虎はどう対処するのか
 
6~8月分のネタをみんなバラしてやったぜぇ! ワイルドだろ~ぉ?^_^;
 
 
 
 そんな訳で、井伊谷へのアプローチ山県昌景と同様に長篠から黄柳川を遡上し八名郷に入りました。
 
  八名は井伊谷三人衆のひとり鈴木重時の領地(重時は戦死し、重好が継いでいましたが)で、居城の柿本城があります。
ん?まてよ、此処はまだ三河の筈、三河に井伊家の家臣の領地が有るって所領全体は一体どんな広さだったのでしょうか?

 

そこで主要な家臣の領地を地図上にプロットしてみると
 
イメージ 11
 

 

 井伊谷というから、井伊谷川流域に限られる国人豪族なのかと思えば、西は東三河、東は都田川流域にまで及んでいます
 

 

地理感の薄い遠隔の方にはピンと来ないと思うので、さらに大きな地図に領地を置いてみると

 

 
 
イメージ 3
 

 

どうです?石高で5万石以上はありそうです。 意外と広範囲だと思いませんか?

 

こんな家の当主を盗賊団が拉致したら、たちまち取り囲まれて皆殺しの根絶やしにされてしまいますね^_^;

 

 

 

認識を新たにした所で本題に戻ります。

 

 武田玄の西上作戦において、山県昌景は先遣の別動隊となって自身の赤備え衆3千を率いて東三河に入ります。
長篠城で武田方に寝返った奥三河の豪族達と合流した昌景は、今後の作戦を打ち合わせた後、奥三河衆の2千を加えた5千の兵で信玄の進軍予定ルートを逆行して、平定確保しながら本体との合流に向かいます。
 そのルートの殆んど井伊領であり、井伊家と直虎にとってはとてつもなく大きな試練の場面な訳です。

 

 
 
イメージ 4
 

最強武田軍にあっても、山県隊の赤備えの精強さは諸国に鳴り響いていました

 

 

 

 まず包囲されたのは八名の柿本城で、此処には城主:鈴木重好以下5百の兵が籠城していたと言いますから、井伊家は積極的な抗戦を判断せず、僅かな援軍と自前の兵で籠っていたと思われます。
 
 
イメージ 6

柿本城遠景 昨年山上の本丸跡と登城路が整備されて、簡単に登れる様になったそうです
 

 そんな背景もあってか、しばらく籠城した重好は菩提寺の住職に“和議交渉”依頼して、和議が成ると無血開城して下流の伊平城へと落ちて行ったそうです。
 
イメージ 7
 
2年前に訪れた時は閑散としていましたが… 大河ドラマの影響の大きさですね
 

 

 
 次に昌景の攻撃目標になったのはその伊平城でした。
伊平城はドラマには出て来ませんが、井伊家の分家で、かなり有力な家臣:井伊直成が守っていました。
それに柿本城を落ちた鈴木重好や近藤康用も加わって、かなりの勢力が揃った事から抗戦を決意します。
 
イメージ 8
 

井平城址の入口 遺構は残存せず城址の殆どは民家の敷地になってるそうなので遠慮します
 

 しかし伊平城は鳳来寺街道を取り込んだ尾根城で、南に向けては備えを厚くしてありますが、北面からの備えは脆弱なため、少し北に外れた“仏坂”で布陣し待ち構えます。
 
 果たして、昌景の武田勢は二手に分かれて南北から伊平城に迫り、そのうち北面からの隊が井伊勢と遭遇し戦闘なります。
 
イメージ 9
 
それでも周囲の地形には郭塁の雰囲気が残っていますね
 
 といっても上杉、北条、今川といった強大勢力との戦いに明け暮れ、打ち克って来た武田勢にあっても百戦百勝の最精鋭の山県隊と、今川の庇護のもと安寧に過ごし、当主が居ない指示系統もハッキリしない井伊勢との力の差は歴
然で、瞬く間に打ち破られて、百名近い討死を出すとすぐに総崩れになって退却します。
この中で井伊直成ら多くの将が討死にしたそうです。
 
イメージ 10
入口近くにあった看板で当時を偲びます

 
さて山県昌景の次の目標はいよいよ本拠の井伊谷城です。
どうする、直虎?
 
 
 
今頃になっての井伊谷 その② につづく