岐阜市の長良川温泉に家族そろって『鵜飼い見物』にやって来ました。
鵜飼いといえば長良川が一番有名だと思いますが、近県に住みながら、ナマで見るのは初めてです(^^;
夜の7時半、見物の屋形船もたくさん浮かんで、“鵜飼い絵巻”の始まりです
シーズン初めの土曜日とあって、残念ながら屋形船は予約できませんでしたが、宿泊したホテル前の河原からよく見えるそうなので、夕食後に浴衣掛けで出掛けてみます。
下流から篝火を焚いた鵜匠の船が登って来ました
鵜を使って川魚を獲る漁法は世界中に古代から有るんだそうで、長良川の鵜飼いの記録としては、奈良時代の記録が元も古いそうです。
また、平治の乱後の敗走の際、父:義朝とはぐれた源頼朝が長良川の鵜匠の家に匿われ、そこで供された“鮎寿司”をたいそう気に入った事から、後に長良川の鵜匠は鎌倉幕府により手厚く保護されたそうです。
鵜匠は紐のついた10羽ほどの鵜を巧みに操り、鵜達は篝火の明るさに寄って来る鮎を丸呑みして捕らえます。
しかし、船の速度が速いので、鵜達が引っ張られててる感もあります。
その後、長良川の鵜飼いは徳川幕府にも保護され、毎年将軍には鮎が献上されました。
幕府からはその代金として鵜匠毎に120石の米と500両あまりの金子が支給さらたと言いますから、随分と高い値段の鮎です。
その背景には、この鵜飼い漁法があまり効率の良い方法ではなく、漁業としては成り立たないので、保護が必要だったのですね。
鵜が捕らえた鮎はその喉の中で傷付かずすぐに死ぬので、鮮度が保たれるんだそうです。
長良川で獲れた鮎は早馬を飛ばして江戸に送られ、2日後には将軍の膳に供されました。
そこまでしても食べたい、貴重な鮎だったのですね。
フィナーレは鵜匠の船が全て集まり、隊列を作って下って行きます。 この後は獲れた鮎が屋形船の客に供されるのかな?
明治になって、長良川の鮎は今度は皇室に献上される様になりました。
それは現在も続いていて、此処の鵜匠さんは“宮内庁職員”の肩書きも持っているんだそうです。
30分強ではありましたが、古式ゆかしき“鵜飼い絵巻”を堪能しました。
翌日の日曜日。
朝から快晴に恵まれたので、家族全員引き連れて金華山に登ります。
一昨年に続いて再訪で、ここはあれこれウンチクを語っても良いのですが、我が家族に多少なりとも歴史に興味の有る者は皆無です(^^;
土岐源氏の盛衰や家臣団のその後など…語る機会はありません。
新緑に包まれた金華山 ガスる前の午前中は遠くまで見渡せ、犬山城、小牧山城なども見えますが…
そうゆうモノよりこうゆうモノの方が興味があるらしい(^^;
リスって、近くで見るとあまり可愛くないなぁ。
これでは孤立した未来しか予想できないので、齢2歳の孫クンを今から仕込む事にしました(^^;
『たっくん、あれが岐阜城だよ、デッカイお家だねぇ』
『じふじょ?』
次いで、斉藤道三と斎藤義龍を孫クンに紹介します(^^)
手をつないでもらっての記念撮影も… 微妙
義龍は大サービスしてくれるも、これで完全フリーズ でも別れ際のハイタッチには応じる事ができました(^^;
幼児といえど、洗脳の難しさを感じながらロープウェイで下山します。
すると、見てる見てる! 眼下は信長館跡の発掘現場です。
次は、あそこに行って見ます