2月10日 土曜日の早朝です。
東京に来ています。

緊急の会議とやらで呼び出されて、昨日の夜に移動して来ましたが、集合場所の八重洲に近い日本橋茅場町に宿をとりました。
この地域は“お江戸”でも活気のある庶民の町、特に商業地だった場所です。
会議が始まるまでまだ時間があるので、少し早く出て、史跡散策しながら会場に向かいます。
【茅場町】
町名は江戸時代初期の建設ラッシュ時、一般的な屋根材である茅(かや=ススキ)を扱う商人が集まって住んだのに由来します。
その後幾つかの大火を経て、屋根が瓦葺きや板葺きに変わった江戸中期以降は、酒問屋の多い町でした。

【兜町】
茅場町の北隣が兜町です。
八幡太郎源義家が奥州征伐の道中、海に鎧を沈めて水神に願をかけたところ、暴風雨が止んだので、帰路にこの地に兜を埋めて、水神を祀った事に由来するそうです。
現在は証券会社が軒を連ねる、日本のウォール街ですね。

東京証券取引所

兜町オフィス街
いつもは証券マンで賑わうオフィス街も、土曜の朝は閑散としています。

その昔、此処の先に大河があって、渡し船で下総に渡っていた様です。

兜神社
証券界の守り神として崇められ、祭神は大国主命…。義家さんは忘れられました。

【日本橋】
江戸幕府が五街道の起点として定めたのがこの橋で、町名もそのまま日本橋となりました。
日本一の商店街として老舗の大店が並んでいましたが、その多くは明治以降はデパートに発展して行きます。

郵便発祥の地
日本橋にある東京中央郵便局は郵便発祥の地だそうです

この地域の井戸は塩分を含み、飲料水に苦労していましたが、呉服の大店だった白木屋の主人が私財を投じて深井戸を掘ったところ良水が湧き出し、住民に喜ばれた事から名水として大切にされました。
この水は江戸城にも献上され、越前藩は明治になるまで毎日汲みに来ていたそうです。
白木屋は後に東急百貨店になります。

“水”を織り込んだ小洒落れたポケットパークがあります
【八丁堀】
日本橋界隈を南下すると八丁堀です。
江戸城外堀に加え、さらに外側のこの地に海防と水運の為に新たに掘った堀が八丁(872m)あったのでその名がつきました。
時代劇で奉行所の同心の事を八丁堀と呼んだりしていますが、与力・同心の役宅が並んでいた様です。
ちなみに北町奉行所は東京駅の北の端あたりに、南町奉行所は有楽町駅あたりに在った様です。

八丁堀跡は現在は首都高

桑名藩上屋敷跡あたり
その堀端に久松松平家の上屋敷がありました
【京橋】
日本橋をスタートして京へ向かう旅人が最初に渡る橋が京橋で、橋の名が町名になりました。
江戸時代には近隣からの青果が荷揚げされる場所で、青果市場が賑わっていたそうです。
練馬の大根、川越の芋、深谷のネギ…などですね。


大根…と名がつく様に、全部使えて短時間で育つ生産性の良い大根は、江戸の食卓の主役だったのでしょうね。


千葉道場跡
北辰一刀流:千葉定吉と妹のさなが経営する道場で、坂本竜馬が通っていた事で有名ですね
【八重洲】
オランダ人ヤン・ヨーステン(耶楊子)の屋敷があったことに由来します。
江戸に屋敷を貰っていたのですね。
しかもこの内側はもう大名小路で、有力大名の上屋敷街ですから、相当に優遇されてた様です。

東京駅八重洲口
東京駅は細川、池田、山内、蜂須賀といった大大名の上屋敷跡地です

さて、そうこうしてるうちに今日の会場です。仕事して来ます(^^;