田丸城を歩く
 
 田丸城は松阪と伊勢の中間の平野部にある平山城です。
南北朝の争乱に築かれ、戦国乱世を経て、江戸期にも使われた城で、規模も遺構も残る城なのですが、全国的な知名度はイマイチの様です。
 
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伊勢平野にポツンとある独立した丘にあり、何処からでも見えます
 
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周囲を水堀で囲った縄張りは織田信雄によるものでしょうか
 
 田丸城へは玉城町役場を目指して行くのが簡単で、役場は大手門内にあります。
もちろんクルマは役場駐車場に無料で停められ、JR参宮線の玉城駅も目の前ですから、本当に訪れやすい城址です。
 
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石垣は野面積みが基本ですが、長い年月にわたり使用されたので、切込み接ぎの個所もあり、いろんな積み方が見られます
 
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三層天守があった天守台には、天守風の建築物がありますが、これは築城680祭があった今年の春に造られたそうです
 
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おかげで、天守台に登って景色を楽しむ事は出来ません
 
 この城は伊勢国司の北畠氏が支配拠点のひとつとして築城しましたが、織田信長によって乗っ取られた後、たくさんの北畠一族がここに集められ虐殺された、北畠氏終焉の城でもあります。
 
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本丸から西の紀州方面を臨む カラタチの垣根がありました
 
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三ノ丸址に建つ玉城中学校の向こうに、遠く伊勢湾の海が見えます
 
 北畠氏は長い歴史を持つ名族ですから、易々とは織田に臣従しなかった様で、足利義昭の“信長包囲網”にも積極的に加担していた様です。
 
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恒例の石垣覗き これでも10mくらいは有るんですよ(^^;
 
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二ノ丸は何やら工事中で入れません。 伐ったばかりの巨大な木の切り株が見えますが、木肌からケヤキみたいですね。
 
 織田信雄の後には田丸直昌も城主として名を連ねています。
直昌といえば関ケ原の前の小山評定の席で、『石田三成に与する!』と言い放って席を立った唯一の武将ですね。
もっともその時は美濃岩村城主だったのですが…。
 
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680年の歴史を持つ城址には、古木がたくさん有ります
 
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城外には本丸御殿の一部も移築保存されている様です
 
 直昌は北畠一族の生き残りであり、村上源氏の嫡流で誇り高く生き続けて来た氏族にとって、戦国末期の策謀だらけの戦い方には、一線を画す想いが有ったのかも知れませんね。
 
おわり