“長浜”を抜け切れなかった秀吉子飼いの長男』
東軍   福島正則 39
領地   尾張清須 24万石
参加兵力 6,000
関ヶ原後 安芸広島 50万石に加増転
 
オリジナルの東軍武将はこれで最後になりました。
 
 福島正則といえば最近のドラマでは、勇猛な武将ながらちょっと思慮が足りないという描き方をされる事が多いですね。
 昔、丹波哲郎さんがハマり役だった頃とはえらい違いで、最近の三成、清正ブームの相対的な“悪役”にされてる気がします。
 そこで今は、正則復権のため、なるべく好意的な見方を試みます(^.^)
 
 
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福島正則画像
酒豪で酒癖が悪く、乱暴者だったと言われますが、反面、子分の面倒見の良い親分肌なアニキでもありました
 
 正則が実際どんな武将だったのかは想像でしかないのですが、まず客観的な事実として、秀吉子飼いの武将のうち、賤ヶ岳七本槍での活躍後の石高は正則が5千石貰ったのに対して、他の6人は3千石でした。
 関ヶ原直前の石高も、他が20万石を下回るのに対して、正則は24万石と突出していました。
 
 秀吉との親等や年齢の関係もあるかも知れませんが、秀吉の中では昔から“正則が動けば皆が従う”リーダー的な素地があって、評価されていたのでは無いでしょうか。
家康もそこに眼をつけて、まず正則を動かす事に腐心しています。
 
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藤堂の陣所を出ると、松尾山方向に南下して行きます
 
 正則には家康のため豊臣家を割って没落させる気などは毛頭なく、むしろ誰よりも豊臣家の行く末を案じていて、なんとか俺が…』の思いがあったと思います。
 
 長浜城の時代、新興の秀吉には家臣団がなく、正則ら縁者の子を預かって育てる事から始めました。
 三好の万丸(秀次)、小吉(秀勝)、辰千代(秀保)に加藤の孫六、虎之助 後には石田佐吉が加わり黒田松寿丸、宇喜多の八郎などい子達も増えて行きます。
 常々正則は秀吉とおねから『市松、おみゃあさんが頼りだでなも』と言われていた事でしょう。
 
 
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あの大杉のある場所が春日神社 正則の陣所跡です
 
 賤ヶ岳の後も秀吉の軍事作戦には先頭を切って参加し、期待に応えるべく懸命に働いた正則。
 しし天下統一へと進むにつれ所帯は肥大して行き、新たに傘下に入る大名も増え、それなりに人材も集まって来ます。
 茶々が側室に入り実子をもうけると豊家の運営体制や顔ぶれも随分変わりました。
 
 長浜で夢を語り合った秀長が病死し秀次も腹を切らされ、官兵衛や小六も遠ざけられて、昔の仲間はもう僅かです。
 そして朝鮮の役が始まり、正則達が塗炭の苦しみを味わっている間に秀吉が死に、帰国してみるとおかかさまで居場所を無くして隠棲しています。
 
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着きましたが…なんか賑やかです。 バナナとお茶が振る舞われ、バンドが唄っています。 松尾山の前の小休止場所ですね(^^)
 
 おまけに朝鮮出兵は何の益もなく、国内に留まった諸将には変化は無いにしても、渡海して兵を損じて傷付いた諸将にも何ら恩賞は無く、作戦を誤った将へのマイナス査定のみが結果でした。
『これは、何の為、誰の為の豊臣家なんだ!』 激怒した正則の矛先は奉行である“君側の奸:石田三成”に向かい、ともに渡海した諸将の七将が同調します。

 

 七将が拠り所としたのは筆頭大老で発言力のある徳川家康でした。
家康に対しては、正則もその危険性は意識していたと思われますが、まずは豊臣家の体制をなんとかしないといけない、その後に家康がどんな野望を見せようと、我々が結束していれば迂闊な事はできないだろうと思っていたフシがあります。
して関ケ原。

 

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おや、まぁ… 和心を詠って伝える伝道師 仁王 だそうです。
 
 正則は宇喜多秀家の陣に対峙して戦います。
家も朝鮮で苦労した組ですが、また違った形で豊臣家を守る信念をもっていますから、正則には“大恩を受けておきながら、裏切り者め!”という強い憤りがあり、手加減はしません。

 

 もともと備前兵の強さは有名で、前衛の明石全澄隊との激突では押されまくり苦戦を強いられます。
しかし、東軍に筒井、生駒、寺沢などの後詰めが加わり、朝から戦い詰めで疲れが見え始めた所に小早川隊が参入したため、宇喜多隊は壊滅します。
 

 

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戦いを見ていた杉です
 
 闘いの勝利で三成は居なくなりましたが、それで何が変わったかと言えば、代わりに家康が本性を剥き出しにした事と、仲間と思っていた面々が急によそよそしくなった事くらいで、“徳川を助けた”正則と淀君らの豊臣家との距離はとても遠いものになってしまいました。

 

『これは違う!こんな筈では…』と足掻いて見ても、自分の首を絞めるだけです。
最後は最も信頼する清正からも『いい加減に諦めて徳川の天下を認めろ!』と叱責されてしまいます。
 
 大家族の長男が、常に長男らしく振舞わなければならない様に、“長浜”の決意は生真面目な正則に重くのしかかり、強い思いとはうらはらな結果をもたらしました。
 
 
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【真田丸より 福島正則】 
長男坊に大人になり切れない不良少年的なキャラ設定は寂しい限りです
 
 
PS…大酒のみで暴れん坊のイメージが強い正則、たしかにそいう面の逸話には事欠きませんが、意外にも強度の恐妻家だったそうです。
 ある日、女癖の悪さで喧嘩になり、妻(昌泉院)は薙刀を振り回して正則を追いかけ、正則は這う這うの体で逃げ回っていたそうです。
 戦国の男は強かったけど、女はもっと強かったんですね(^^;)
 
 
つづく