天守
 太鼓門を過ぎると本丸最上段になり、目の前に天守が聳えています。
前回に書いた様に徳川譜代の天守としては異例な、戦国末期の桃山様式の華麗な天守がそこにあります。
 
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  最上階に高欄を設けた望楼型3層3階天守で、唐破風、千鳥破風をバランス良く組み込み、華頭窓で飾られた意匠は徳川のクソ面白くもない(しつこいw)無機質な層塔型のものとは対極にあると思います。
 
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  この天守は近江源氏の名門:京極高次の大津城からの移築と伝わり、“なるほど!”とも思いますが、大津城は1586年(天正14)に浅野長政によって築城されたものです。
  もともと大津城天守は4層5階で、そのうち彦根には上の3層3階のみを移築した様で、ややズングリした感じですが、この下にあった筈の2階の建物を加えると、巨大な天守になりますね。
 しかし、浅野長政の意匠だとすれば弥兵衛にしては、でら上品すぎだでいかんわとなってしまいますw
 
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大津城時代の京極高次は、浅井三姉妹の二女:初姫の嫁ぎ先ですね
 
 
  実はこの大津城、建物の多くは1571年(元亀2)に建てられた坂本城の遺構を流用したものなのですね。
これでバッチリ繋がりましたねw
 
 本丸の壇上にはさすがに観光客が増えて来ましたが、天守の入口にはまだ行列は出来ていないので、今のうちに天守に登って見る事にします。
  入口は付け櫓になっていて、本来の出入り口がここなんでしょうが、一方通行にしてる様で、出口は天守の石垣にあり、地下階から出る様になっています。
前からこうだったっけ? 
記憶が曖昧ですが、国宝をそう簡単には改造できないので、こうだったんでしょうね。
 
 
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右の階段が入口で、中央の小さいのが出口の様です
 
 付け櫓から天守1階に登ると行列が始まりました。
内部に展示物等は無いので、内部の構造を見ながら行列に並びます。
たぶん最上階からの展望を楽しむために混んでるのでしょうが、1階の1辺を進むのに20分も費やしてしまいます。
  これでは天守を出る頃には帰る時刻になってしまうので、今回は早めに断念します。
 
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付け櫓の梁はまるでパズルです
 
  入口へ逆行して出て行くと、係のオバチャンがしきりに謝っていましたが、城人気なのは良い事だし、個人的には天守は城の一部に過ぎないので、また定年退職後の平日にゆっくり観る事にします。
 
 
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 外に出て、代わりに天守の石垣をジックリ見ました。
この石垣、“牛蒡積み”という形式で、野菜のゴボウを積む様に、長めの石を縦に積
み奥行きのある石垣を造っています。
これも徳川スタンダードではありませんね。
 
もちろん角石は算木に積まれているので、地震の時に最も強度があるのがこの積み方です。
 
 
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 グルリと裏に廻って、付け櫓の石垣を見た時、明らかに天守台に対して後付けされてる事に気付きました。
これは、彦根城になってから少し後の改造ですね。
そうすると、最前の石垣からの入口も辻褄が合います。
 
つづく