一ヶ月ぶりの投稿です。
年末年始は来年度の事業計画策定と予算編成で、最も忙しい時季。
サラリーマンの宿命ですね…。
 
 そんな訳で、近場の北勢(三重県北部)48家に戻って、今回は『春日部家』を取り上げます。
 
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未曾有の寒波が来襲したこの日、外気温は0℃ 鈴鹿の山も真っ白です。 信州か?ここは…。
 
 
 戦国時代の伊勢国を代表する勢力には、北畠氏、長野氏、関氏があり、「伊勢の三家」と呼ばれていましたが、これに北勢48家の小豪族群の中でも有力な、三重郡千種城主の千種家、河芸郡神戸城主の神戸家、そして今回の朝明郡萱生城主である春日部家の三家を加えて「伊勢六人衆」と呼ばれる事もありました。
 
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 春日部家は伝わる系図によると、桓武平氏の伊勢平氏の支流とされていますが、一番著名な「平清盛」とは四代前に分かれた同族です。
また、後に“北条早雲”を名乗る小田原の後北条氏(伊勢氏)もこの支族の様です。
 
 平安末期には清盛の元で栄華を極めた伊勢平氏ですが、嫡流が壇ノ浦で滅ぶと、姓氏を変えて野に下り雌伏の時代を余儀なくされます。
 春日部家の祖となる平盛国は清盛の執事を務めていた事もあり、その子孫も泰資の代に名を変え“春日部”を名乗りました。
 
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 時代は下がって南北朝の争乱の頃、春日部詮義は北畠氏に与力して活躍し、後醍醐天皇から朝明郡萱生(かよう)の地を賜って館を築き定着しました。
春日部家は後に萱生城、伊坂城、星川城を築いてこの三城を拠点に朝明郡東部を一族で統治し繁栄します。
 
 
ではさっそくこの3城を歩いてみます。
 
 
『萱生城』 四日市市萱生町238
 
  東名阪高速道路を四日市東ICで降り、県道の信号を左折して西に進んで行くと、右前方に小高い山が見えてきます。
“城山”と呼ばれるこの山の一帯が萱生城の城址であり、春日部宗方の築城と伝わり、戦国時代に“伊勢六人衆”のひとりに数えられた春日部家の本拠でした。
 
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朝明川を天然の堀にした萱生城址 この地域ではかなり大規模な丘城です
 
 1568年の織田信長の伊勢侵攻で、当主の隼人正俊家は籠城して抗戦するも力及ばず、落城してしまいます。
 
 48家が割拠する北勢地域の真ん中を流れる朝明川の流域でも最も大規模で、本格的な城であったと言われていますが、50年ほど前の昭和38年に『学校法人:暁学園』により開発の手が入り、現在の城山には中高一貫の『暁学園』の施設が建っています。
 
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正面からの登城路の上にあるのは…女子高の校舎です(汗)
 
 開発前の測量図からは、城址の遺構がハッキリ読み取れたそうですが、山上はほぼ平坦で、中央を南北に50mもの幅の堀が分断しており、その東半分はさらに四重の堀に囲まれながら嵩を増して行き、最後は25m四方もある天守曲輪になっていたそうです。
 西半分は家臣屋敷の敷地と推測され、すべての機能が山上にあるタイプの巨きな城だった様ですね。
 
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『日本城郭大系より 萱生城』
学校が建つ直前の地形図か? かなり大きな城域なのが判りますね。
 
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うん…カメラを持ったオジサンには…これは手強い。 
 
 鎌倉にある北条氏の玉縄城址も同様に、学校になってその姿を失ってしまい、おまけに女子高という事で近付く事も憚られる、現代における最も難攻不落な城塞と化しています。
 幸い萱生城址は近年に共学に移行して、少しは男子生徒も居る様ですから、あと10年もすればブラリと訪問できる様になっているかも知れません。
もっとも、遺構は井戸跡くらいしか残っていない様ですけどねw
 
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よく見れば、郭塁の造作痕もありますが…。 パトカーが来ないうちに退散します。
 
 
 
『伊坂城』 四日市市伊坂町
 
 続いて支城の伊坂城です。
ここは春日部家でも代々『太郎左衛門』を名乗る家が城主で、信長の侵攻には萱生城に従って抗戦しますが、後に降伏開城して信雄に従う事で春日部家を後世に残しました。
 
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伊坂城址の横にあって、目印となる伊坂ダム
 
 萱生城の北東わずか3km足らずの丘陵にあり、こちらは“伊坂ダム”が良い目印になり、ダムの堰堤の脇にある駐車場が利用できます。
 伊坂ダムの貯水池周辺は『サイクリング公園』として整備されており、休日は親子連れで賑わいますが、此処を起点に城址にアプローチできます。
 
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公園駐車場から城址へと続く、見覚えのある道です
 
 
 城址はダムから一筋の谷間を挟んだ東側の尾根にあり、近年までは深い藪の中に遺構の数々が保全されていた様ですが、まもなく開通する予定の第二名神高速道路の敷地にあたり、いかほどの物が遺されるのか心配です。
 もちろん、工事に先立っては県教委による入念な発掘調査が行われ、全貌が明らかになった上での工事ですが…。
 
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うん、まぁ想定内の事。今日は日曜日だし…と、構わず入って行きますw
 
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城址が見えて来ましたが、 ん? なんか嫌な予感… 
 
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あっちゃ~ 阿茶の局! 城址がゴッソリ削り取られてる!
 
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こっちも斉藤由貴の惨状で…跡形もありませぬ!
 
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かろうじて、跨道橋にはその名が刻まれる様ですが…
 
 
2014年11月に現地説明会が行われた様で、萱生城と同様に家臣屋敷も付随した比較的大きな城の姿が現れたそうです。
当時は関東在住で参加できませんでしたが、参加した諸兄のブログがたくさんアップされてるので、その概要を覗い知る事ができます。
 
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ダムの風景もいっそう寒々と見えます
 
 
後編につづく