二年前の6月に江戸城の三十六見附を踏破しました。
見附とは…江戸城に出入りする者を監視し、武具と一定の兵士を常備した枡形門を指しますが、江戸城にはこうした本格的な城門が36ありました。
 
イメージ 1
訪れた当時の常磐橋見附
立ち入り禁止になっており、外側からだけの取材を余儀なくされました
 
 
 現存の有無は別にして、36箇所全てを見て廻ったのですが、常磐橋見附だけは、当時の景観を遺してるにも拘わらず、震災の修復工事で立ち入り禁止になっており、未練を持ちながら再訪を期して今日に至っています。
 
 ところが今夏のこと、この常磐橋見附が『ぶらタモリ』で取り上げられているのを偶然目にしました。
“もう一般公開されてるんだ…”と、再訪の機会を覗っていましたが、今日、東京での仕事が早く片付いたので、東京駅から新幹線に乗る前に、氷雨の降る中、急いで駆け付けて見ました。
 
 
 現状を見る前に、常磐橋見附をもう少し詳しく紹介しておきますねw
 
イメージ 2
まず所在地ですが、東京駅を日本橋口に出て、永代通りを渡って200mほど北上した堀端にあります。 ちょうど日本銀行本店の正面ですね。
 
 
イメージ 3
明治4年の古写真です 木橋が架かり、高麗門の奥には渡り櫓門が見えてます。
右折れの枡形だった様ですが、石垣上には土塀もなく、意外にシンプルです。
 
 
イメージ 4
江戸中期の古図  あまりの達筆でよく判らないのですが、門内にもうひとつ枡形があり、“大番所”があって、相当数の役人が警備してた様です。
 
 
イメージ 5
明治中期の錦絵と地図
常磐橋は石橋に架け替えられていますが、櫓台の石 垣は残っていますね。
常磐橋は日光街道(国道4号線)の起点でした。
 
 
 さて、いよいよ現在の姿ですが
 
 
なんと、こうゆう状態でした…。
 
イメージ 6
石橋が解体されて、前回よりも酷い、バラバラな状態です…。
 
イメージ 7
 
イメージ 8
見学会の写真が掲示されていました。
最後のアーチの石を撤去する直前のものか? 皆の服装が夏だから、今夏の事でしょうか?
 
 
イメージ 10
枡形は現在も仮囲いの中です
 
イメージ 9
仮囲いの隙間から枡形内を盗撮
こちらも工事たけなわ…というか、何も変わっていないのが正直な感想です
 
 
 期待してはるばるやって来たのに(この為にではないけどw)、これはガッカリです。
 あれから二年以上経つのに、この工事の遅さは何なんでしょうか?
日本の工事とは思えない、ブラジルのオリンピックの準備を見る思いですね。
 
 しかし、あの『ぶらタモリ』の映像は何だったのでしょうか???