大坂城を歩く『本丸周回』

桜門を抜け、本丸壇上に立つと、正面にドド~ンとドデカい天守が聳えます。
観光客の脚もそちらへと流れて行きますが、まず本丸内部をつぶさに見て廻る事にしました。
観光客の脚もそちらへと流れて行きますが、まず本丸内部をつぶさに見て廻る事にしました。

本丸に入るとみんなが天守を目指します。 ちょっと厚化粧になったかな?
初回でも述べましたが、大坂城の本丸は内堀を含めた外形では、豊臣大坂城とほぼ同じサイズです。
徳川秀忠は豊臣大坂城の本丸石垣の外側をなぞる様に高石垣を積上げ、盛り土をして、更に豪壮な基壇を造りました。
徳川秀忠は豊臣大坂城の本丸石垣の外側をなぞる様に高石垣を積上げ、盛り土をして、更に豪壮な基壇を造りました。

天守台は解体して、少し西側に新たに築き直しているので、天守はまったくの新作になります。
本丸外周には13の三重櫓を築いていましたが、これは残念ながらひとつも残っていません。
内部には天守の他には、将軍が訪れた時の為の“本丸御殿”が有っただけで、意外とガランとしていた様です。
内部には天守の他には、将軍が訪れた時の為の“本丸御殿”が有っただけで、意外とガランとしていた様です。

旧陸軍第4師団司令部は現在はレストランになっています
特に豊臣時代の天守周辺(現在は配水池が造られ森の様になっている)は古地図にも何の標記もなく、ただの広場だったのかな…?
現在も天守の他に建物といえば、旧大阪市博物館(陸軍第4師団司令部)があるだけです。
この建物、現在はレストランとして活用されてるみたいです。
炎天下を歩いて意識も朦朧として来たので、喝を入れる為に“生ビール”補給しますw
現在も天守の他に建物といえば、旧大阪市博物館(陸軍第4師団司令部)があるだけです。
この建物、現在はレストランとして活用されてるみたいです。
炎天下を歩いて意識も朦朧として来たので、喝を入れる為に“生ビール”補給しますw

空堀と西ノ丸の向こうには大阪の中心街が見えます
元気を取り戻して、本丸を時計廻りに見て歩きます。
本丸西側の石垣上からは大阪の中心街が一望できます。
今はずっと向こうまで市街化されてしまってますが、当時は商都のすぐ向こうに瀬戸内海が見えて、ずいぶん眺めの良い場所だった事でしょうね。
本丸西側の石垣上からは大阪の中心街が一望できます。
今はずっと向こうまで市街化されてしまってますが、当時は商都のすぐ向こうに瀬戸内海が見えて、ずいぶん眺めの良い場所だった事でしょうね。

天守の北側には副都心の大坂ビジネスなんたら…が見えます

本丸には13基の三重櫓があったそうで、櫓台は残っているのですが、案内看板がありません…。
堀沿いに北に進み、天守が近付いて来ると土産物屋があり、観光客でごった返して来ます。
灼熱地獄と人混み、それに大陸人特有のあの気質…の3点セットが揃うと、避難するしかなく、天守の北側まで逃れますが、ここまで来ると、人もまばらになって来ました。
灼熱地獄と人混み、それに大陸人特有のあの気質…の3点セットが揃うと、避難するしかなく、天守の北側まで逃れますが、ここまで来ると、人もまばらになって来ました。

山里曲輪は緑がいっぱいw
石垣沿いの木陰のベンチに座り、山里曲輪の緑を見下ろしてひと息ついていると、ふといつもの生理的欲求が頭をもたげて来ます… が、さすがにここでは人目があって出来ません。
もっと東の方が誰も居なさそうなので移動して内堀の堀端までやって来ました。
もっと東の方が誰も居なさそうなので移動して内堀の堀端までやって来ました。

本丸北東の櫓台跡です 誰も居ません…
ここは豊臣大坂城の天守があった場所に近いのですが、キョロキョロと辺りを見回しても誰も居ません。
『今だ!』、意を決して、ここで欲求を充たしますw
『今だ!』、意を決して、ここで欲求を充たしますw

恒例の石垣覗き!

大坂城は石垣の1.5m手前に頑丈な柵があり、乗り越えないとこれが出来ません。 日本一の高さの石垣を前に、機を見てせざるは…ですw
しかし、これは違反ですから、良い子はくれぐれもマネしないでくださいね。
やる事やってスッキリしたので、今度は本丸東側を南下します。
実はここの高石垣こそが日本一の高さを誇っており、伊賀上野城より1m高い、30.5mあると言われています。
なるほど、こりゃ見下ろし感ハンパないわw
実はここの高石垣こそが日本一の高さを誇っており、伊賀上野城より1m高い、30.5mあると言われています。
なるほど、こりゃ見下ろし感ハンパないわw

この辺りが一番高い様です

二ノ丸の東側は梅林になっていて、緑が豊かです。
おっ、船が居る
眼下の内堀に唐船仕立の遊覧船が動いています。
雅楽っぽい音曲を鳴らしてゆっくり動いていますが、豊臣秀吉ならこんな船造って、側室をいっぱい載せて、クルージングを楽しんだかも知れませんね。
雅楽っぽい音曲を鳴らしてゆっくり動いていますが、豊臣秀吉ならこんな船造って、側室をいっぱい載せて、クルージングを楽しんだかも知れませんね。

つづく