大坂城を歩く『大手門~西ノ丸』

 

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大手門から西ノ丸を廻ります
 
 
 大阪歴史博物館を後にして、南外堀の端に戻って来ました。
左前方にはもう大手門が口を開けて待ってくれてるので、ここから城内に入って行きます。
 
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しつこいけど、もう一度雁行の屏風折れw  見事です
 
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そして、大手門の建造物群  大手門らしく豪華なラインナップです
 
 大手門は大坂城に6箇所ある枡形門のひとつで、唯一建物が完璧に残っている(復元されてる)門なので、大坂城の防備の一切が見られるのではないかと思います。
施工したゼネコンも肥後熊本藩:加藤広忠…ですから、いやがうえにも期待は高まります。
 
 これだけ堀が広くて、しかも高低差があれば、木橋で繋ぐのは無理なので、土橋になります。
土橋と言っても完全に石で固められた土橋… これひとつ取っても、なかなか見れないシロモノなんですよ。
 
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大手門の入り口の高麗門
どんどん観光客が吸い込まれて行きます
 
 土橋だと門前への敵の殺到が容易になります。
高麗門周辺にも防備の鉄砲狭間がありますが、竹束や矢楯を並べて近付く敵にはあまり効果がありません。
そこで重要になるのが横矢構造で、楯に隠れた敵を横から狙撃できる機能です。
大坂城大手門も左手の石垣が折れて大きく前にせり出して、その上には大型の櫓(千貫櫓)が載っていて、櫓にはズラリと銃眼があって、こっちを睨んでいます。

 

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大手土橋左手の横矢と千貫櫓  右の建物は渡り櫓門です
 
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千貫櫓のどアップ
各階の下部に銃眼がイッパイあって、こっちを睨んでいますw
石山合戦のとき、ここに在った櫓に悩まされた織田軍から、千貫払ってでも手に入れる価値のある櫓だと言われ、その名前が付きました。 重文です。
*千貫は現代の価値で3億円くらいかな
 
 
 高麗門の前まで来ました。
さすがに門の両側には巨大な切り石が使われていて、大手門ならではの豪華さを醸しています。
これは…、江戸城に負けていませんね。

 

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高麗門左手の巨石加工  さすが清正ジュニア、やりますね!
 
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右手もこの通り
 
 更に凄いのは、石垣と土塀の間にズラリと並ぶ銃眼の数。
天端石が加工してあって、内側に廻って見ると、こうなります。

 

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1間おきに銃眼があり、それは城の石垣全部に施されてて、膨大な数にのぼります
 
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二ノ丸南端の天端石
天端石の加工は銃眼と土塀の支柱穴がセットになっていて、この上に土塀があったという事です
 
 そういえば、大坂城独自の特徴として、天端石がやけに揃ってるなと思っていましたが、こうした構造が石垣全体に巡らされていると言う事ですね。
この仕掛け、江戸城の大手門にもありましたが、江戸城は門に限定されているので、大坂城がいかに実戦ありきで造られているかを示す証拠になります。
 
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日本一背の高いと言われる渡り櫓門  枡形の広さも日本一です
 
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巨石がふんだんに使われています
初老の夫婦と息子さん?らしき一行が見てて、奥様の声が聞こえてきました。
『おとうさん、たくさんお城見てきたけど、こんな凄いの、初めてだねぇ…』
 
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切り込みの技術も素晴らしい!
 
 枡形内もとても広く、左折れで渡り櫓門へと続きますが、正面も多聞櫓で囲われた空間は、防御力の高さを物語っています。
ここも巨石がふんだんに使われ、しっかり金が掛かっていますね。
 
 
 
 
 次いで西ノ丸に入って来ました。
 
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西ノ丸庭園
城代屋敷や警備の武士の居住区だった場所です
 
 西ノ丸は“西ノ丸庭園”として独立したエリアで、関所があって別途料金\300が必要です。
しかし、1620年の築城当時からの現存建物(すべて重文)はほぼ此処に揃っているので、迷わず有料入場します。
 
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さっき出て来た千貫櫓を内側から見る、大坂城でいちばん古い建物だそうです
 
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同じく重文の乾櫓 L字型の櫓はここだけ
 
 西ノ丸は豊臣大坂城では本丸御殿に次ぐ副御殿があった場所ですが、徳川大坂城では城を守る武士達の居住空間として使われていた様です。
 城主の居ない(城主は江戸の将軍)大坂城には城代が詰めて、警備と維持管理をしていましたが、正式な城代を定番といい、お手伝いの城代3名を加番といって、合計4名の譜代大名・高給旗本によって管理されていました。

 

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見下ろす西外堀  こちらも広いです

 
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北西からの入り口“京橋口”
 
 警備の分担は定番が大手口を、加番がそれぞれ京橋口、青屋口、玉造口を分担した様で、この西ノ丸や二ノ丸にはそうした武士達の屋敷・宿舎が立ち並んでた様です。
 
 城代は概ね5万石クラスの大名が勤めていますが、二条城代⇒大坂城代⇒京都所司代⇒老中… というのが幕閣の出世コースだった様で、定番だけで江戸時代を通してのべ78名の大坂城代が名を連ねていますから、任期は平均3年くらいですね。
 
 
つづく…。