日本百名城 №54 大坂城 登城日2015.8.2

城郭構造 輪郭式平城または平山城
天守構造 独立式望楼型5重8階(1931年復興)
築城主 豊臣秀吉
築城年 1583年(天正11年)
主な改修者 徳川秀忠
主な城主 豊臣氏、奥平氏、徳川氏
廃城年 1868年(明治元年)
遺構 櫓、門、石垣、堀
指定文化財 国の重要文化財(櫓・門など)
登録有形文化財(再建天守)
特別史跡
天守構造 独立式望楼型5重8階(1931年復興)
築城主 豊臣秀吉
築城年 1583年(天正11年)
主な改修者 徳川秀忠
主な城主 豊臣氏、奥平氏、徳川氏
廃城年 1868年(明治元年)
遺構 櫓、門、石垣、堀
指定文化財 国の重要文化財(櫓・門など)
登録有形文化財(再建天守)
特別史跡
酷暑の日曜日、仕事で大阪にやって来ました。
仕事は早くに終わってしまった(終わらせた…)ので、せっかくの機会だから、大坂城…見て行きます。
仕事は早くに終わってしまった(終わらせた…)ので、せっかくの機会だから、大坂城…見て行きます。
思えば、自分的に大坂城ほどメジャーな城は無いのですが、東京人にとっての東京タワーみたいなもんで、修学旅行や城内にある施設でのイベントでしか訪れた事はなく、じっくり見るのは初めてな気がするので、大坂城のメジャーたる所以を検証してみたいと思います。

広い大阪城公園の何処からでも見える天守 長年、大坂のシンボルです。
大坂城といえばなんとなく、豊臣秀吉の象徴の様に思われています。
事実、この地に初めて巨城を築いたのは秀吉で、豊臣政権の権力を現すべく、信長の安土城を遥かに凌ぐ前代未聞の巨城だったと言われていますね。
事実、この地に初めて巨城を築いたのは秀吉で、豊臣政権の権力を現すべく、信長の安土城を遥かに凌ぐ前代未聞の巨城だったと言われていますね。
その大坂城も30年後の1615年(慶長20年)、徳川家康の手によって落城してしまいます。
灰燼に帰した大坂城は一度は松平忠明(奥平)に与えられますが、すぐに天領に戻され、1620年(元和5年)から、徳川秀忠の手によって天下普請での再建が始まります。
普請奉行は藤堂高虎が務めました。

徳川秀忠が大坂城を再建したのは、戦乱が終わってからの事です
諸侯が築城の技術を競い合い、天下普請の巨城の築城も終わった後の、まさに革新技術の集大成の城となりました。
築城範囲は旧城の中堀の内側に限られ、面積こそ4分の1に縮小されましたが、築城も作事もその構造には最新の技術が投入されました。
外郭の石垣は旧城の石垣の外側に切り込み接ぎで整然と積み上げられた高石垣で構成され、郭上には土が盛られて、旧城をスッポリ覆う形で郭が形成されます。
外郭の石垣は旧城の石垣の外側に切り込み接ぎで整然と積み上げられた高石垣で構成され、郭上には土が盛られて、旧城をスッポリ覆う形で郭が形成されます。
その上には5層6階の白亜の層塔型の天守が立ち、周囲に30以上もの複層の櫓が惜しみなく配されます。
9年の歳月を掛けて完成した徳川大坂城ですが、40年間での築城技術の進化と革新はめざましく、誰の眼にも、豊臣大坂城を遥かに凌ぐ巨城に見えた事でしょう。
…という事で、豊臣大坂城を偲ぼうにも、すべては豊臣の痕跡を消すかの様に地中に隠されていて、そのよすがも有りません。
現在見られる遺構のすべては徳川大坂城のものですから、若干の不本意な思いはあるものの、今回は日本の築城技術の最終形とも言える、徳川大坂城をジックリ堪能する事にします。
現在見られる遺構のすべては徳川大坂城のものですから、若干の不本意な思いはあるものの、今回は日本の築城技術の最終形とも言える、徳川大坂城をジックリ堪能する事にします。
大坂城を歩く『南外堀~歴史博物館』

JR環状線の森ノ宮駅で下車して、大坂城に向かいます。
ここは大阪城公園の南東の端になるので、“玉造口門”が至近なんですが、あえて南外堀の脇を散策しながら、大阪歴史博物館を目指します。
ここは大阪城公園の南東の端になるので、“玉造口門”が至近なんですが、あえて南外堀の脇を散策しながら、大阪歴史博物館を目指します。

南外堀
お城の堀といってまず思い浮かべるのがこの風景です。広い堀幅に、立ちはだかる石の壁…
この南外堀は、南の天王寺方面から続く“上町台地”を分断する形で堀が開削されていますが、台地続きで高低差が無く、しかも台地の東西の麓と水位を合わせる為に、相当に深く広く開削され、掘った土砂が二ノ丸側に積み上げられて高低差を創出しています。
これはとんでもない土木工事ですね。
これはとんでもない土木工事ですね。

二ノ丸の東の端に現存する一番櫓

そして六番櫓 同じ二層櫓ですが、窓の意匠が違いますね

六番櫓下にある石を抜いた様な穴
明治時代の陸軍の仕業らしいのですが、奥行きは4mほどで、特に意味はなさそう。
堀幅はざっと100m、二ノ丸側の高石垣も20m以上はありそうな、豪快な石の壁が続きます。
その石壁は綺麗な屏風折れを形成して、優美さも兼ね備えています。
大坂城を訪れたら必見の見どころのひとつです。
その石壁は綺麗な屏風折れを形成して、優美さも兼ね備えています。
大坂城を訪れたら必見の見どころのひとつです。

雁行と呼ばれる屏風折れの続く美しい高石垣のライン
横矢の部分にはかつては一番から七番まですべて二重櫓がありました。
大坂城の中でも、特に好きな風景です。
南外堀の西の端まで来たら、公園緑地に隣接して“大阪歴史博物館”があります。
城内に入る前の事前勉強がメインの目的ですが、こうした博物館には珍しい高層のビルで、大坂城全体の俯瞰ができそうなので、入って見ます。
城内に入る前の事前勉強がメインの目的ですが、こうした博物館には珍しい高層のビルで、大坂城全体の俯瞰ができそうなので、入って見ます。

大阪城公園の南西に隣接する博物館
まずエレベーターで10階に昇り、時代を経てエスカレーターで降りてくる“海遊館”式の展示方法です
入館料\600。
しかし、ここには大坂城天守閣入場とのセットの券もあって、\900。
大坂城天守閣は単品でも\600だから、かなりお得ですよ。
大坂城天守閣は単品でも\600だから、かなりお得ですよ。

さっそく向かった展望室ですが…
室内の景色が窓に映り込んで、綺麗に見えません。残念。

難波宮の模型展示
大坂城の展示は天守閣とカブるからか殆どありません…。

南の窓からは難波宮跡も見えます
眺望も展示も予習にはイマイチでしたが、暑い屋外で蓄えた体内の熱はクールダウンできましたw
次回は大手門から城内に入って行きます。