野田城攻略
 
 三方ヶ原で大勝した信玄ですが、その後しばらくは浜名湖北岸の刑部(おさかべ)に滞陣し、三河への侵攻を見合せます。

 

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陣座ヶ谷古墳から見る刑部砦址
信玄が越年した場所とも言われますが、三方ヶ原の延長の高台にあり、適地ではありません
家康の動きを監視する砦だったと思われます
 
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気賀の街並(北区細江町)
坂を降りると田園地帯で、古くから集落があり、3万の兵と7千の軍馬が越年するには、この一帯に駐屯するしか無かったのでは? 左中央の森は刑部城址です
 
 
その理由は幾つか考えられますが、
・信長の美濃周辺の動向を探って、次の行動を考慮していた。
 この頃、畿内の信長包囲網に動きがあり、北近江に出ていた朝倉義景が極
 寒を理由に領国へ引揚げてしまいます。
 包囲網の破綻は信長の戦力に余力を生み、信玄への備えを大幅に強化でき
 ます。
 (信長は境川西の丘陵地帯に防衛ラインを敷く事を考えていたと思う)

・家康に誘降の使者を送り、家康の出方を覗っていた。
 家康を味方にできたら、三河全域が手に入り、無傷で一気に尾張に侵攻で
 きるので、残された期日での入落も見えて来ますが 、畿内の動きは家康
 にも伝わっており、城内に織田勢も居る事から、交渉結果は芳しくはな
 かった。

・信玄の病状が悪化して差配もままならず、動くに動けなかった。
 余命4ヶ月の信玄の死因は内臓疾患であり、この頃には生活に支障を来す
 症状は当然出ており、善後策が協議されていた。
 
 おそらく、この全てが正解で、家康の思わぬ抵抗が進軍の遅れを生み、それが畿内の環境変化に繋がって、信玄の病状という大きな不安要素も加わった…。
そこで改めて、今回の出兵の到達点を何処に置くかが話し合われていたんだと思われます。

 

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徳川を屈服させて京を目指す作戦は困難になります。
残された時間で出来る事は… 豊川流域の占領か…。
 
 
 刑部で越年した武田軍は正月4日には突如として動き出し、三河へと向かいます。
目指すは野田城。 
長篠城の南15kmに位置する豊川西岸の城で、此処を攻めるという事は徳川領の完全分断作戦に出た事を意味します。
これは、分断して家康を孤立させ、降伏(調略)を促す目的と、信長に対しては、家康救援に出張って来ねばならない状態を作り、豊川流域の平地での直接対決で一気に雌雄を決しよう…という目的があると思われるので、そうした決定がなされたのでしょうね。

 

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浜名湖北岸を西進し、三ヶ日から三方ヶ原の方面を見る
 
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三ヶ日から新城に抜ける別所街道の宇利峠
信玄は此処を越えて三河に入りました
 
 
 浜名湖北岸を抜け、宇利峠を越えて三河に入った武田軍は、10日過ぎには野田城を囲みます。
 野田城は河岸段丘の二つの谷間を防塁として築かれた小城で、城主の菅沼定盛以下僅か500の兵力でしたが、3万の武田軍はここでも力攻めは行なわず、遠巻きにしていました。
 
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野田城縄張り図
段丘の尾根に連郭に築かれた城ですが、力攻めできない規模の城ではありません
 
 
 前述の様に、織田信長の出陣を待つ意味も有ったでしょうが、この下流にはまだ牛久保城、二連木城、吉田城があり、目的からすれば、早々に落として平地に進出し吉田城に迫る必要があったと思います。
たぶん一進一退の信玄の病状に加え、三河とはいえ真冬の長期滞陣に厭戦気分も広がり、方針が定まらなかったのでしょうね。

 

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二ノ丸から本丸虎口を見る
空堀と土塁を巡らしてはいるものの、すべて小規模で戦国後期の城攻めに耐えるのは難かしそうに見えます
 
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本丸内に残る井戸
地下でこの水脈を断たれて、枯れた事が致命傷でした
 
 
 奇しくも信玄最後の戦いとなってしまった野田城攻撃は、何ら武田らしい戦いは行なわれる事なく、ここでも“金山衆”が投入され、トンネル作戦で水の手の水脈が断たれた事で、籠城1ヶ月の2月10日に開城降伏するという幕切れでした。
 
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信玄狙撃伝説
野田城落城後の夜に、笛の音に誘われた信玄がここに立ち、堀を隔てた山中から鉄砲で狙撃された伝承があります
武田兵に紛れて潜入し撃ったとしても、それ以前の動きから、それが致命傷とは思えません
 
 
 野田城を確保した武田軍ですが、ここでまた行動がピタリ停止します。
2月が終わり、4月を前にしても野田城から出る様子がありません。
この様子を覗って不思議に思っていた信長も、もうこれ以上の侵攻は無いものと確信し、3月には対武田への配備を解いて、近江浅井攻めを再開しています。
 
 信玄の周辺でただならぬ事態が起きている… これはもう敵味方を問わず、周知の事だったのでしょう。

 

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野田城の遠景
夕暮れ時の野田城で、森のシルエットしか見えません
武田信玄の生涯も日没を迎えようとしています
 
 
⑧信玄無言の帰還… につづ