信玄現る!

 

 山県昌景の先発隊に遅れること4日、10月3日に信玄自らは2万2千の本隊を率いて府中を出発します。
この中には同盟国:北条氏からの援軍2千も含まれていました。
 
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信玄が辿った秋場街道はフォッサマグナの割れ目にある道で、伊那街道に比べると補給もままならない山間の道でした。その分、隠密性は高かったかも。
 
 
 甲州街道を北上して諏訪を目指し、杖突峠を越えて高遠城に立ち寄った本隊は伊那谷ではなく、秋葉街道を南下し、青崩峠を越えて直接北遠江に侵入しました。

 『信玄現る!』の報に接した北遠江の国人達は大混乱に陥りますが、秋葉の里を支配していた最大勢力の天野景貫はハラを決め、信玄に積極加坦する事で存亡の危機を免れます。
周囲の国人もこれに倣った為、信玄は戦わずして天野景貫の居城:犬居城に入ります。
 
 
犬居城入城と攻城戦開始
 
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犬居城遠景
郭は山上に連郭に連なり、左手の凹み(鉄塔の所)で大堀切になって終わります。 比高差は200mくらいか
 
 犬居城に入った信玄は、ここで隊を二つに分け、馬場信春に5千の兵を預けて、只来城→二俣城の攻略を命じます。
自らは残る1万7千の兵を率い、天野景貫の先導で東遠江の徳川方の諸城を攻略する事にしました。
 
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馬場信春隊に攻められ放棄された只来城
城址としての管理はされてない模様で、看板等は一切ありません。
 
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信玄が最初に攻めた天方城だが、城主:天方通興は戦わずして開城降伏してしまう
 
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大田川沿いにある飯田城址  ここもあっけなく落城した
 
 
 天方・一宮・飯田・挌和・向笠…などの諸城を1日1城の物凄いペースで落として行った信玄の本隊。
移動だけでも半日は掛かるでしょうから、殆ど無抵抗だったとも言えます。
 武田領に境を接し、徳川に与力してまだ日が浅い遠江の豪族達にとって、『武田信玄』のブランド力がいかに凄いものだったかを物語っていますね。
 
 
③家康との激突『一言坂の戦』…に続く