伊勢亀山城まだまだ続きます…。
 
 東の端まで来ました。
東三ノ丸は空堀と土塁で囲まれた郭でしたが、廃城後に堀は埋められて道路になった様です。
確かに堀の形通りに道路が走っていますが、道路と堀の内外の段差がまったく有りません。
ジオラマと少し違いますが、平地に堀を穿って、その土を内側に掻き揚げただけの土塁というのが真実なんでしょうね。
 
イメージ 1
民家に残る古い土塀  武家屋敷だったのでしょうね
 
 
 城址の南側の旧東海道を西に走ってみます。
旧東海道は観光用に土色に“塗装”された道で判りやすくなっていますが、クランクやアップダウンが多くあり、荷車などの往来を考えると不便なので、他に脇道があったと考えるのが普通でしょう。
街道沿いには古い家屋も多くあり、宿場の風情が残っています。
 
イメージ 2
街道沿いの寺院は本堂に二ノ丸御殿を移築しています
 

イメージ 5

 
 
 城址の西の端はほぼフラットな“西ノ丸”が広がります。
此処には家老屋敷の長屋門が残っていて、江戸期の雰囲気が一番有る場所かも知れません。
 
イメージ 4
家老屋敷〝加藤家〟の長屋門
 
 
西側の堀跡の一部が復元されていますが、全貌を妄想するには相当に想像力が必要ですね。
 
イメージ 3
西ノ丸の土塁復元  下の地面が水面のラインだそうな
 
 
 当時はこの少し西に“京口門”があり、門を出ると東海道は急な下り坂で竜川の谷底に降りて行きました。
安藤広重は“東海道五十三:亀山宿雪晴”の図を此処で描いたそうです。
 
イメージ 6
 
 
 いよいよ最後に残る本丸跡に向かいます。
伊勢亀山城といえば必ず出る“多門櫓”の脇を通り、本丸御殿跡に建つ“亀山神社”にクルマを停めて散策します。
イメージ 7