海の城探訪   三重県 赤木城       登城日2015.02.01
 
 
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 城郭構造    山城
 天守構造    
 築城主     藤堂高虎
 築城年      1589
 な城主    藤堂高虎、羽田正親
 廃城年     1595年?
 遺構       石垣、土塁、空堀
 指定文化財  国の史跡
 所在地     三重県熊野市紀和町赤木
 
 
 城ある記ブログの再スタートを何処にしようかと思い巡らせていましたが、寒波の襲来で積雪に見舞われた日曜日に、ふと陽光に輝く南の海が見たくなって熊野まで出掛けました。
 
 熊野といえば、築城の名手:藤堂高虎が草創期に築いた赤木城があり、是非訪れて見たい城址のひとつだったので、熊野の海と併せての訪城です。
 
 赤木城は1589年、当時の紀州領主だった豊臣秀長の命により、家臣の藤堂高虎が築城したと言われています。
それまで戦国大名の支配を受ける事なく、自治意識の高かった紀州では、新たな領主の一方的な支配と冊封に対する抵抗が強く、各地で一揆が頻発しました。
 
 赤木の地は新宮から吉野に抜ける“北山街道”沿いにあり、“北山杉”の一大産地だった様です。
 
 豊臣秀長は阪築城や朝鮮の役の際に、膨大な量の木材を伐り出して大阪や肥前名護屋に運び、諸大名の屋敷造営用に販売して莫大な利益を上げたという話もありますから、その当時この地では、強引な徴発が行なわれていたのかも知れませんね。
 
 当然の成り行きで、この地にも“北山一揆”が起こります。
秀長からその鎮圧を命ぜられた堂高虎、羽田正らは高虎が築いた赤木城を拠点に、一揆を鎮圧します。
一揆首謀者の多くが近くの田平子峠で処刑されたそうです。

 

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  一揆が鎮圧された北山の地は安定し、藤堂高虎も豊臣秀吉の大名として伊予にると、浅野長幸長の時にまた地侍主導の大規模な一揆が起こり、浅野家もまた赤木城を拠点に鎮圧にあたりますが、鎮圧後は廃城となった様です。

 

 山深い山村の丘に建つ城址は開発の波に襲われる事もなく、自然に還っていましたが、近年になってその築城時の姿の多くが維持され、高虎の技法が駆使されている事から、国の史跡に指定され、保存整備がなされて今に至ります。

 

 

 

 

 

赤木城を歩く

 

 吹雪の舞う北伊勢から一気に南下して紀州を目指します。

 

R42で永遠に続きそうな長い道のりでしたが、現在は高速道路がほぼ完成しており、1時間半で熊野です。
 紀州は快晴で風もなく、陽光の降り注ぐ熊野の海は波も穏やかで、年末に行った千葉の勝浦の海を思わせます。
しばし癒されました。

 

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熊野郊外、鬼ノ城と太平洋  真冬でも明るい陽光でいっぱいです
 
 
 熊野から赤木城へはR311で向かいます。
ナビに従い途中の風伝峠で県道40に入って行きますが、この道が凄い道で、“箱根八里”の“羊腸の小径”という表現がピッタリの狭いクネクネ道でした。
これから訪れる人には是非違う道を…とお奨めしたい所ですが、小腸から大腸に移る直前に“丸山の千枚田”を見下ろす素晴らしいビューポイントが待っています。
これを見るために敢えて走っても損の無い道という事ですね。
 
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丸山千枚田   ほんとうに千枚以上ありそうな広さです 春に来たらもっと綺麗だろうな
 
 
 千枚田を過ぎると道も地形も少し緩やかにはなりますが、やはり山奥には違いがありません。
 
北山川の一本東の狭い谷間な所に地域の要衝の城が有ったとはとても思えない狭隘な地形です。
 
 北山街道は北山川に沿って北上し、伐り出した北山杉は筏に組んで北山川を新宮まで流して運んだ様ですが、この地域の北山川はちょうど“瀞八丁”にあたり、北山街道は瀞峡の渓谷を避けて、東隣りの谷間を通っていたのですね。
つまり、陸路はここを通らざるを得ない要衝の地という事なのです。
 
 いよいよ赤木城が近付いてきます。 要所の分かれ道には大きな看板があり、PRにも力を入れているのが判ります。
お陰で迷う事なく赤木城の駐車場に至る事ができました。
 
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きれいな駐車場とその奥にある城址
 
 

 赤木城のある赤木地区はさすがに谷の幅も少し広くなって、街道が緩やかに峠になった場所でした。

道路脇にトイレ付きのキレイな駐車場が整備されています。
10台ほどは停められそうですが、すでに3台の先客が居ます。
百名城以外の城歩きをしていて、むしろ人に遭う事の方が珍しいのですが、此処は少しグレードが違う様です。
 
 城址の郭塁は駐車場のすぐ後ろに聳えていて、比高差は30mくらいかな?
そう大規模ではないものの、こうした城には珍しく石垣が多用されていて、いかにも“遺跡感”の高い姿は見る者を圧倒します。
 
 駐車場の辺りにも、石積み遺構がそこかしこに在るから、根小屋が街道沿いに在ったんでしょうね。
 
 
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駐車場脇の民家?に残る石積み遺構