里見の城を歩く ⑥ 安房国 白浜城 登城日2014.12.06

本日最後の城は安房里見氏の最初の居城:白浜城……の予定でしたが、野島崎に着くと同時に日没となり、サスペンデッドと書いたものの、遠景のみの訪城です。

夕陽は伊豆大島の向こうに沈んでしまいました…
白浜城があるのは房総半島の最南端:野島崎の北に聳える山の山上で、古河公方:足利成氏の意を受けた里見義実が、上杉勢力圏の上総、安房を迂回して、野島崎に上陸して最初に攻略した城と言われています。
その後義実はこの白浜城を拠点に安房の国人達を伐り従えて行きます。
その後義実はこの白浜城を拠点に安房の国人達を伐り従えて行きます。
義実が稲村城を造って移転した時に廃城になったとも、隠居城に使って、義実の死で廃城になったとも言われますが、城跡には先の大戦時に海軍の砲台陣地が置かれた様で、山上は大規模に改変されているそうです。

野島崎の散策路はまだ賑わっています
余談ですが、陸上陣地の固定砲と波の影響を受ける艦載砲では、その命中率に格段の差があるそうです。
日露戦争の旅順要塞攻略戦にも、真珠湾攻撃にも連合艦隊の砲艦が参加してないのはその為で、軍艦は砲台には迂闊に近付けないのです。
先の大戦であまり艦砲射撃を受けなかったのは、沿岸に整備されていたこうした砲台のお陰だったのですね。
館山城といい白浜城といい、近代戦でも安房の戦略的重要度が判ります。
日露戦争の旅順要塞攻略戦にも、真珠湾攻撃にも連合艦隊の砲艦が参加してないのはその為で、軍艦は砲台には迂闊に近付けないのです。
先の大戦であまり艦砲射撃を受けなかったのは、沿岸に整備されていたこうした砲台のお陰だったのですね。
館山城といい白浜城といい、近代戦でも安房の戦略的重要度が判ります。

野島崎灯台はまだ灯が燈りませんが…
話が逸れましたが、戦後に、山上の削平地とアクセスする道路の存在は恰好の畑地となり、折からの食糧難で開墾は更に広がって、城址と開墾地の見分けが難しく、ややもすると超巨大な山城に見えてしまうのも白浜城の特徴の様です。
以上、他人のフンドシ情報でしたw
以上、他人のフンドシ情報でしたw

太陽とバトンタッチする様に、東から月が昇って来ました。
今夜は満月です。
今夜は満月です。
宿泊地の千倉に移動して明日に備えます。