関東の城探訪  群馬県  大胡城    登城日2014.09.20
 
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 郭構造      連郭式平山城
天守構造      なし
築城主     大胡氏or益田行綱
築城年       室町時代初期?
主な改修者   益田行綱、北条高広、牧野康成
主な城主      大胡氏、益田氏、上泉氏、北条氏、牧野氏
廃城年      1616年
遺構       石垣、土塁、空堀
指定文化財      なし
所在地      群馬県前橋市河原浜町660-1

 
 
 前橋城の次は東10kmほどに位置する“大胡(おおご)城”です。
知名度の低い城はちょっとインパクトに欠けるので、今後は少しタイトルを工夫してみますw
 
 大胡城は地域の名族:大胡氏の居城で、大胡氏は藤原秀郷を祖とし、東毛地域に根を張った古くからの豪族でした。
大胡氏は足利尊氏に仕えて、その勢力を強めますが、戦国初期の関東争乱では山内上杉氏配下だった様です。
 
  その後、隣接する古河公方方の金山城主:横瀬氏の圧迫を次第に受け、大胡氏はこの地を捨てて武蔵に逃れ、江戸に近い牛込に所領を得て“牛込氏”を名乗りました。

 

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大胡城主郭への入り口のトンネル   そのままクルマで登れる 
 
 残った大胡城には一族の益田氏あるいは上泉氏が古河公方方として入り、争乱に対処しますが、小田原の北条氏の北上で古河公方は廃され、越後長尾氏(上杉氏)の南下の頃には“厩橋城”と同様に北条(きたじょう)高広が支配し、良くも悪くも高広と運命を共にします。 
高広は大胡城を自身の隠居城として使った…との話も伝わっています。
 
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在りし日の大胡城本丸
  
 
 時代は下がって、徳川家康が関東に入封すると、大胡城には牧野康成が2万石の大名として入り、康成は城の強化整備を行ないます。
今に残る本丸の高土塁や城門の石積みはたぶんこの時のものなんでしょうね。
 元和2年(1616年)、牧野氏は越後に転封になり、大胡は前橋藩領となって、大胡城は廃城になりました。
  
 
 
 
 
 
大胡城を歩く
 前橋から大胡城へは上毛電鉄に添った県道3号線を東進します。
大胡駅の北、旧大胡町役場(現:前橋市役所支所)の北隣りにある小丘が大胡城址で、二ノ丸跡までクルマで乗入れる事ができます。
 
 主郭自体は小ぶりですが、さすがに江戸時代まで使われただけに、土塁や空堀は堅牢な輪郭が伺われます。
伺われる…としたのは、残念ながらこの時期らしく草ぼうぼうで、僅かに人が歩ける最低限の除草しかされていません。
 
 この時も貸切りで、たぶん訪れる人は多くは無いんでしょうね。
需要が無ければ整備に掛ける手間も少なくなるのは仕方なく、残念なことです。
 
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高い本丸土塁と空堀
草勢が凄くて、形がよく見えない
  
 本丸の高台に立つと、北の赤城山の威容が良く見えます。 西に榛名山も臨め、この地域の城は本当に景色がいいですよねw
 
  主郭の東を流れる荒砥川を外堀にして、北隣りの幼稚園がある高台と、そのまた北の神社がある高台と…連郭で曲輪が連なり、川との間に城下が形成されてる… 妄想の中でそんな縄張りが一望できます。
地続きの西側はたぶん水堀で仕切られてた事でしょうね。
 
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本丸壇上から見る北側に続く郭塁跡(でしょう…たぶん)
 
 
 一旦主郭を降り、川を渡って対岸から城址の全容のショットを狙います。
たまたま通り掛かった紳士風のお年寄りが『彼岸花がきれいでしょう?』と声を掛けて下さったので、これ幸いと大胡城についてあれこれ聞いてみます。
北の神社の辺りは城の遺構は有りますか? という問いに、
あそこは城ではなくて、昔から神社だよ!』との事。
 ついでに『幼稚園のある場所も城跡じゃない』との事で、事前の下調べ結果と本丸跡での妄想はアッサリ否定されてしまいますw
しかし、あそこを敵に抑えられたらヤバイよなぁ…。
 
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石垣が残る枡形門跡 牧野氏の遺構か
  
 代わりに
『城は南に広く伸びてて、今の役場の辺りはワシら子供の頃は城跡という事で、今より随分高い土地じゃった』
と教えてくれました。
 素人の俄か調査より、こうゆう地元の古老の言葉は何倍も重いので、謝礼を述べてさっそく役場に行ってみます。
 結局、あいにく『○○定期演奏会』なるイベントで駐車スペースが無く、役場辺りの踏査は断念して次に向かいます。
 
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北には赤城山
  
 
 帰宅してから再度調べた結果、やはり神社の北までが城域だった様で、南側も役場よりさらに南までの広大な城域だった様です。
江戸時代の大名の城の縄張りだから、さもありなんですね。
 
 地元の古老も知らない…という事は“城”の概念の個人差なのか、地域の伝承の薄さ(当時からの愛着度の低さ)なのか…。
ともかく、草ぼうぼうを含め消化不良なので、再訪を考え中。
草が枯れる冬になってからだなw