太田道灌という武将 【後編】

僅か3年あまりの間に関東を東奔西走し、独力で対効勢力次々に潰して行った
さて、ここで八面六臂の活躍をしたのが太田道灌です。
1477年2月、景春の五十子陣への襲撃で戦端が開かれると、3月には相模の景春勢力に攻め込み、電光石火の如く各城を落として、まず背後の掃除をします。
翌4月には江戸城と河越城の間を遮断した豊島氏を攻め、瞬く間に南武蔵(東京都)を掃蕩してしまいます。
1477年2月、景春の五十子陣への襲撃で戦端が開かれると、3月には相模の景春勢力に攻め込み、電光石火の如く各城を落として、まず背後の掃除をします。
翌4月には江戸城と河越城の間を遮断した豊島氏を攻め、瞬く間に南武蔵(東京都)を掃蕩してしまいます。
北武蔵への道が開けると、5月には五十子陣を奪還して主君に渡し、同時に景春と用土原で直接対決し、景春を鉢形城に封じ込めます。
ここで古河公方が大軍で出陣して来たため、道灌はじめ上杉軍は上野の塩売原で対峙しますが、この時は決着が付きませんでした。
ここで古河公方が大軍で出陣して来たため、道灌はじめ上杉軍は上野の塩売原で対峙しますが、この時は決着が付きませんでした。
緒戦の敗北で景春の勝ちが薄いと見た古河公方は歳が開けると和議を求めて来ますが、道灌は手を緩めず、1月には豊島氏の息の根を止め、次に小机城を囲んで落とし、6月には相模の残党を完全に殲滅します。
翌7月には鉢形城を攻め、景春は堪らず秩父に逃げ込みます。
翌7月には鉢形城を攻め、景春は堪らず秩父に逃げ込みます。
そして暮れには元からの仮想敵の千葉氏を攻めるべく下総に侵入し、境根原合戦、臼井城攻撃で翌1月には下総から千葉氏を追い出し、余勢を駆って7月には上総の古河公方与党の諸氏を攻め立てます。
そしていよいよ、翌1480年6月、景春の最後の拠点:日野城も道灌の手によって攻め落とされ、景春は古河公方の元に逃げ込む事により、長尾景春の乱は終結を見ます。
別表にこの乱の主要な戦いをまとめて見ました。
『長尾景春の乱』合戦一覧(主要なもののみ)

全22戦のうち道灌が戦ったのは19戦。そのうち18戦は道灌自から指揮した戦いで、すべて圧勝で勝っています。
関東を二分する大規模な戦いながら、懸命に戦ったのは道灌と景春だけで、終わってみれば、道灌の一人勝ちという結果でした。
関東を二分する大規模な戦いながら、懸命に戦ったのは道灌と景春だけで、終わってみれば、道灌の一人勝ちという結果でした。
どうしてこんなに強いのか…という事ですが、道灌は従来にない戦法として、足軽を制度化した集団戦法を初めて採り入れた武将と言われています。
そうした技術革新に加えて、圧倒的なスピード感がありますね。
従来の、儀式に則った戦い、勝者と敗者がハッキリしないユルイ戦い方とは隔絶した速さと厳しさです。
従来の、儀式に則った戦い、勝者と敗者がハッキリしないユルイ戦い方とは隔絶した速さと厳しさです。
さて、圧倒的不利な状況から、鬼神の如き活躍で上杉方に勝利をもたらした太田道灌ですが、御存知の様に主君:上杉定正により虐殺されてしまいます。
何がそうさせたのか…いろんな推理が出来ますが、古河公方と上杉家は元々は主君と家臣だし、山内上杉氏と扇谷上杉氏は血の混ざった同族です。
名分や職位を守る為に戦いはすれども、お互いに相手を潰す気概など感じられず、争いの中で組み合わせを変えて、同じ様な体質を百年以上守って来ています。
名分や職位を守る為に戦いはすれども、お互いに相手を潰す気概など感じられず、争いの中で組み合わせを変えて、同じ様な体質を百年以上守って来ています。
もし、景春が勝っていたら、景春が上杉の家宰になり、古河公方と相談して、適当な人物を上杉の当主に据えるだけで収まっていた事でしょう。
つまり、太田道灌の様な、枠組みを替え得る人材を必要としていなかったのが正直な所ではないでしょうか?
大活躍してくれたはいいが、次の関東を造る青写真は誰も持っていなかったと思います。
つまり、太田道灌の様な、枠組みを替え得る人材を必要としていなかったのが正直な所ではないでしょうか?
大活躍してくれたはいいが、次の関東を造る青写真は誰も持っていなかったと思います。
百年後に、織田信長の戦い方を見た御所の公家衆…に似た感じかな。
太田道灌自身もまた然りで、終戦後の雰囲気を読んで判断すべきでしょうが、戦い終わると動きが急に緩慢になってしまいます。
優れた能力も、名声も、今後も厄難から上杉家を守るという所で止まり、臣を超えた使い方は考えて居なかった様ですね。
優れた能力も、名声も、今後も厄難から上杉家を守るという所で止まり、臣を超えた使い方は考えて居なかった様ですね。

有楽町の国際フォーラム内に立つ道灌像
江戸城を見守っている様です
名将が必ずしも名君ではないけど、考えてみれば、関東への外圧は道灌が死んだ5年後、北条早雲の伊豆侵攻で始まりますが、この関東の独特な枠組みには北条氏も更に百年近く、氏政の代まで手こずる事になります。
ーーおしまいーー