関東の城探訪 埼玉県 菅谷城 登城日 2013.03.17

所在地 埼玉県比企郡嵐山町
城郭構造 連郭式平城
通称 菅谷館
築城年 1200年頃 鎌倉時代
築城主 畠山重忠
主な改修者 山内上杉氏、北条氏
主な城主 畠山重忠、山内上杉氏、北条氏
廃城年 1590年?
遺構 曲輪、土塁、空堀ほか
文化財指定
城郭構造 連郭式平城
通称 菅谷館
築城年 1200年頃 鎌倉時代
築城主 畠山重忠
主な改修者 山内上杉氏、北条氏
主な城主 畠山重忠、山内上杉氏、北条氏
廃城年 1590年?
遺構 曲輪、土塁、空堀ほか
文化財指定
次は菅谷城にやって来ました。
菅谷城は鎌倉幕府の有力御家人“畠山重忠”の居館跡がベースになっており、戦国初期に山内上杉氏が敵対する扇谷上杉氏の松山城に対抗する拠点として城砦化しました。
北条氏が進攻して来ると、松山城をこの地域の拠点とし、菅谷城はその支城として整備・強化されます。
その後の詳しい記録は無いのですが、城館の多い地域で平城という制約もあり、北条治世の間に廃城となったものと思われます。
北条氏が進攻して来ると、松山城をこの地域の拠点とし、菅谷城はその支城として整備・強化されます。
その後の詳しい記録は無いのですが、城館の多い地域で平城という制約もあり、北条治世の間に廃城となったものと思われます。

三ノ郭にある『嵐山史跡の博物館』
菅谷城を歩く
菅谷城は東松山市街から鉢形方面に向かうR254沿いにあります。
菅谷城は東松山市街から鉢形方面に向かうR254沿いにあります。
正式名称は『菅谷館跡』ですが、これは地元の名士“畠山重忠”と繋げてイメージを上げる狙いかと思います。
実際には本郭の周囲に幾重にも郭と強固な空堀・土塁を配した完全な城で、“足利氏館”の5~6倍の敷地があるから、いくら何でも舘は無理です。
ただ、本郭は中世の豪族館の形式を遺しているので、周辺の遺構を切り離せば館跡と言えなくもないかな。
ともかく『真田幸村の城:上田城』ほど悪質じゃないので、良しとしましょう。
ただ、本郭は中世の豪族館の形式を遺しているので、周辺の遺構を切り離せば館跡と言えなくもないかな。
ともかく『真田幸村の城:上田城』ほど悪質じゃないので、良しとしましょう。
入ってすぐの三ノ郭には『嵐山史跡の博物館』があります。
クルマもここに停めて入って見ますが、この地区の城館群の資料展示が多くて、とても参考になります。
やや古めかしい大鎧を着た畠山重忠公の人形が出迎えてくれます。
やや古めかしい大鎧を着た畠山重忠公の人形が出迎えてくれます。

畠山重忠公の像
外に出て、二ノ郭に向け歩いて行きます。
左手に土盛りと小さな庭園があり、壇上に誰かの像があります。
これは正解率99%で“畠山重忠公”ですよねw
ただ哀しい事に重忠公、前のめりに倒れそうで、後ろの木からワイヤーで引っ張って、かろうじて支えていました。
早くちゃんと直してあげて欲しいものです。

二ノ郭に入る土橋(人が歩いてる所)
土塁は奥で大きな折れを作り、横矢を掛けてます。
二ノ郭はかなり立派な土塁が巻いていて、空堀も深さがあります。
土橋で渡って行きますが、すぐ右手で土塁が大きな折れを作り、シッカリ横矢が掛けられています。
土橋の手前には堀に囲まれたスペースもあり、こりゃたぶん馬出しですね。 土塁上に登ってみますが、こりゃ完全に戦国後期の新しい遺構の様です。

ん?畝堀?
本郭に入ります。
土塁が周囲を巻く形式は、中世城館そのもので、雰囲気はありますが、二ノ郭側の土塁は改変がなされている様で、キレイな方形にはなっていませんね。
ついでに周囲をグルリ廻ってみました。城内には博物館以外に建物は無く、いちおう散歩コースになっていますが、西ノ郭なんかは藪がひどくて、も少し活性化に活用しないと廃れてしまう様な危惧を感じました。

本郭内