日本100名城 №4 弘前城 登城日 2014.5.11

所在地 青森県弘前市
城郭構造 梯郭式平山城
通称 鷹岡城、高岡城
築城年 1611年() 江戸時代
築城主 津軽為信・信枚
主な改修者 津軽寧親
主な城主 津軽氏
廃城年 1871年(明治3年)
遺構 現存天守・櫓・門、石垣、土塁、堀
文化財指定 国の重要文化財(天守・辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓・三の丸追
城郭構造 梯郭式平山城
通称 鷹岡城、高岡城
築城年 1611年() 江戸時代
築城主 津軽為信・信枚
主な改修者 津軽寧親
主な城主 津軽氏
廃城年 1871年(明治3年)
遺構 現存天守・櫓・門、石垣、土塁、堀
文化財指定 国の重要文化財(天守・辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓・三の丸追
手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭亀甲)、国の史跡
昨夜は弘前に入って泊り、地元の名産料理と地酒で健全ながら充実したナイトライフを満喫しました。
英気満々で早朝から弘前城を目指します。
“日頃の行い天気”は今日も続き、風もなく快適な五月晴れです。
“日頃の行い天気”は今日も続き、風もなく快適な五月晴れです。

雰囲気のある弘前の町並み
弘前城の歴史は意外に新しく、江戸時代初期の1611年に津軽藩主の津軽為信によって築城された新城です。
津軽氏も南部氏の一族で、津軽から出羽北部に土着して“大浦南部氏=大浦氏”を称していました。
津軽氏も南部氏の一族で、津軽から出羽北部に土着して“大浦南部氏=大浦氏”を称していました。
長い歴史を持つ南部氏は、一族というより“連邦制”の色合いが濃く、小田原の役に際しても“大浦為信”は独自に参陣し、秀吉より所領安堵のお墨付きを得ました。
この行為に南部側は“裏切り者”と怒りますが、もともと“久慈氏”からの養子であった為信は、自らを久慈氏の“藤原氏の系統”として、大浦氏から津軽氏に改名して、南部氏の一族から距離を置いてしまいます。
まぁ、先見の明がある“策士”だったのでしょうね。
晴れて津軽藩4万7千石の大名となった為信は、藩に相応しい新城造りに着手し、為信死後の1611年に弘前城は竣工します。
三重の水堀を持つ梯格式の平城で、石垣を多用した本丸には当初は五層天守がありましたが、早い時期に落雷で焼失しました。
現在の天守(御三階櫓)は江戸末期に“ロシアの脅威”を口実に再建された日本最北の“現存天守”です。
津軽氏はその後転封も無く明治維新を迎えますが、城址は公園として維持され、大きな開発の手を免れた事で、3棟の櫓と5棟の門が現存します。
御殿はありませんが、江戸期の城の姿を良く遺す城として、城ファンに人気の城です。
御殿はありませんが、江戸期の城の姿を良く遺す城として、城ファンに人気の城です。

重文の大手門
弘前城を歩く
1.アプローチ
ホテルからは徒歩1kmの道のり。
1.アプローチ
ホテルからは徒歩1kmの道のり。
鰺ヶ沢街道で追手門に向かいます。
昨日の八戸もそうでしたが、青森の街並みは低く、敷地に余裕のある、横に広がったイメージですね。
本州よりも北海道を歩いてる感覚です。
弘前で最も繁華なエリアを抜けるともう堀端で、追手門の姿が見えてきます。
このエリアは公舎の集まった所ですが、明治の建物が残されてたりして、良い雰囲気があります。
コインロッカーが有るという門前の“観光会館”に寄って見ますがまだ7時半…開いてる訳ないですね。
仕方ないから、リュックを背負ったまま城内に入って行きます。
仕方ないから、リュックを背負ったまま城内に入って行きます。

枝垂桜はまだ咲いてます
2.三ノ丸
追手門は土塁に守られた二層の櫓門で、現存遺構ですが、小諸城の二ノ門に似た意匠です。
追手門は土塁に守られた二層の櫓門で、現存遺構ですが、小諸城の二ノ門に似た意匠です。
寒い地域に特有の造りなのかな?
門を入ると“三ノ丸”で、今は植物園として開放されています。
弘前城は本丸と北郭が有料エリアですが、ここはもちろん無料。
早朝でも開いてて、散歩を楽しむ人達がちらほら。
当時は武家屋敷のエリアだったのでしょうが、今はきれいに植栽された平坦地で、沢山の木々が木陰を作っています。
こうゆう意味の植物園なのですね。
弘前城といえば桜の名所でもある訳ですが、“花見公園”としても十分な広さです。
弘前城といえば桜の名所でもある訳ですが、“花見公園”としても十分な広さです。
三ノ丸には市立博物館も有るのですがまだ8時。未申櫓を見ながら二ノ丸に入って行く事にします。
二ノ丸への橋の袂に“バードウオッチングの団体”が集まっていました。
二ノ丸への橋の袂に“バードウオッチングの団体”が集まっていました。
鶯の鳴き声がキレイに聴こえます。

堀端にさりげなく未申櫓が建っています
3.二ノ丸
二ノ丸の入口には二つ目の“南内門”があります。
二ノ丸の入口には二つ目の“南内門”があります。
意匠は追手門とほぼ同じなのですが、こちらの方が年季が入ってて、良い雰囲気を醸しています。

南内門の内側 古くて雰囲気の良い門です
門をくぐると、すぐに本丸の堀端に出ます。
二ノ丸自体が“帯曲輪”の役割だったのかな?
堀に沿って東へ行くと天守が見えて来ました。
堀に沿って東へ行くと天守が見えて来ました。
内堀を渡る紅い欄干の“下乗橋”も見え、弘前城のお馴染みの風景です。
橋の前では写真屋さんが記念写真の台の配置に勤しんでいます。
弘前城天守は三階櫓を代用と聞いてたので、もっとチャチなのを想像してましたが、白漆喰塗りで各層に破風を持つ佇まいは実に堂々としていて、緑に錆びた銅葺き瓦がさらに箔を感じさせます。
代用したのは三階櫓の名前で、天守として建てられた物に相違ないですね。

天守が見えてきました