日本100名城 №5 根城 登城日 2014.5.10

所在地 青森県八戸市根城字根城47
城郭構造 連郭式平山城
通称
築城年 1334年(建武元年) 室町時代
築城主 南部師行
主な改修者
主な城主 南部氏
廃城年 1627年(寛永4年年)
遺構 土塁、堀、井戸
文化財指定 国の史跡
城郭構造 連郭式平山城
通称
築城年 1334年(建武元年) 室町時代
築城主 南部師行
主な改修者
主な城主 南部氏
廃城年 1627年(寛永4年年)
遺構 土塁、堀、井戸
文化財指定 国の史跡
盛岡からさらに北上し、八戸で下車して“根城”を目指します。
好天でも少し肌寒さがあった盛岡よりも、海沿いの八戸は暖かい海風が吹き込んでて、ポカポカ陽気になりました。
好天でも少し肌寒さがあった盛岡よりも、海沿いの八戸は暖かい海風が吹き込んでて、ポカポカ陽気になりました。
根城の歴史は古く、南北朝の頃、陸奥の守護として下向した北畠顕家に供奉して来た、甲斐の地頭“南部師行”が築城した事に始まります。
師行は北朝との戦いで戦死しますが、一族はこの地に広く土着し、中でも三戸に根付いた南部氏は後の盛岡藩の南部氏に繋がります。
戦国の世になり、根城には新たに甲斐の南部宗家から八戸政光がやってきて、下北地方を支配します。
しかし三戸の南部氏から一族の津軽氏が独立して、九戸南部氏の乱など、一族の中での主導権争いが表面化します。
しかし三戸の南部氏から一族の津軽氏が独立して、九戸南部氏の乱など、一族の中での主導権争いが表面化します。
秀吉の世になって『東北仕置き』があり、小田原の役に参陣した戦力から、三戸南部氏が宗家の扱いとなり、八戸南部氏はその有力家臣という扱いになりました。
宗家は盛岡に移動し、新城を築城しますが、八戸南部氏は宗家と足並みを揃えつつも、しばらくは引き続き根城を拠点に下北を支配し、独自性を維持します。
しかし1627年には遠野へ移封となり、その後の家臣としての位置づけが固定しました。
この時に、根城は廃城となったそうです。
この時に、根城は廃城となったそうです。

公園エリアの空堀跡
危なくない様に埋め戻されています
根城を歩く
1.アプローチ
根城は八戸駅の東約3kmにあり、バスも通っている様ですが、次のスケジュールもあるので、タクシー移動します。
駅から東進し、馬渕川を渡ると左前方に土塁と復元建物が見えてきます。
今回はまず隣接する“八戸市博物館”から攻めてみます。
1.アプローチ
根城は八戸駅の東約3kmにあり、バスも通っている様ですが、次のスケジュールもあるので、タクシー移動します。
駅から東進し、馬渕川を渡ると左前方に土塁と復元建物が見えてきます。
今回はまず隣接する“八戸市博物館”から攻めてみます。
2.博物館
タクシーを降りて玄関の師行公の銅像に挨拶して博物館に入ります。
タクシーを降りて玄関の師行公の銅像に挨拶して博物館に入ります。
ここは市の総合博物館なので、根城に特化したものではありませんが、根城と南部氏の情報も当然得られます。
城址の“根城の広場”も有料なので、単独でも入れますが、各\250なので、共通券だと\100お値打ちです。
転封→廃城の城なので、遺品は少ないのですが、城の縄張りや郭の用途などの知識は得られます。
城址の“根城の広場”も有料なので、単独でも入れますが、各\250なので、共通券だと\100お値打ちです。
転封→廃城の城なので、遺品は少ないのですが、城の縄張りや郭の用途などの知識は得られます。

城址入り口の模擬門
3.城内へ
博物館の隣にはボランティアガイドの詰め所があり、その奥の模擬復元の門をくぐって城内に入って行きます。
根城は馬渕川右岸(南側)にある崖端城で、東西に長く広がっており、西の端の本丸から東にかけて、空堀をはさんで郭が連続する“連郭式平城”です。
博物館の隣にはボランティアガイドの詰め所があり、その奥の模擬復元の門をくぐって城内に入って行きます。
根城は馬渕川右岸(南側)にある崖端城で、東西に長く広がっており、西の端の本丸から東にかけて、空堀をはさんで郭が連続する“連郭式平城”です。
分類は“平山城”になっていますが、川からの比高差もせいぜい10mだから、完全に平城です。
何処でもそうですが、本丸中心に整備されてて、ここに建物の復元もあり、“有料エリア”になっています。
また、縄張りの真ん中を東西にR104が走り、その南側は市街化してるから、現存するのは半分の規模ですね。
残った北半分の郭エリアは公園になっていて、芝生広場の様相です。
公園エリアを見る限りでは、三本の空堀跡が南北に走り、一部に物見台の様な高く盛り上げた塁跡も見えます。
残った北半分の郭エリアは公園になっていて、芝生広場の様相です。
公園エリアを見る限りでは、三本の空堀跡が南北に走り、一部に物見台の様な高く盛り上げた塁跡も見えます。
堀は安全の為か後世の耕地化の為か、ほとんど埋まっていますが、発掘調査の結果では“薬研堀”だった様です。
復元図による郭の用途としては、家臣の屋敷跡が大半の様でした。
復元図による郭の用途としては、家臣の屋敷跡が大半の様でした。

本丸土塁と木柵 ん?…
3.本丸
本丸は他の郭より少し高く造ってあり、一旦堀底に降りてから郭に登って行きます。
本丸は他の郭より少し高く造ってあり、一旦堀底に降りてから郭に登って行きます。
土塁上にグルリと白塗りの丸太の柵が造ってあり、“吉野ヶ里”か“インディアンの砦”を連想します。
本当にこうだったのでしょうか?
壇上には主殿の建物が復元されてて、中を見学できます。
広間では人形を使った“元服の儀式”が再現されていて、当時の生活の一端を見せてくれ、興味をそそりますが、建物がもろに現代工法(特に材料加工)で、一考の余地ありです。
食事や就寝など日常のスペースが無いなと思ったら、他に“常御殿”と“奥御殿”の二棟が在った様で、こちらは部屋割りが平面復元されていました。

宴会の様子が復元されている
元服の儀式らしい
建物としては他に厩や武具の工房、萱葺きの倉庫などがあります。
鋳物工房では金属を溶かして武具を作るプロセスが再現されていて、材料は壊れた鉄屑の他に、大量の“銭”が使われてた様です。これは驚きでした。 命は銭に替えられませんからね。

工房の復元は興味深い
4.下城
城の復元整備には時代テーマが設定されていると思いますが、根城はさしずめ室町中期なのかな?
城の復元整備には時代テーマが設定されていると思いますが、根城はさしずめ室町中期なのかな?
鉄砲に対する備えが見えないから、少し古い時代の城の感じです。
本丸の復元家屋なども“中世の地方武士のくらし”をテーマにした博物館展示ですね。
しかし実際の根城は“八戸南部氏”の拠城として江戸初期まで存在し、殺伐とした戦国の世を生き抜いた城ですから、戦いに備えた強固で巧妙な構造があった筈です。
これが百名城というのは納得できないなぁ。
本丸の復元家屋なども“中世の地方武士のくらし”をテーマにした博物館展示ですね。
しかし実際の根城は“八戸南部氏”の拠城として江戸初期まで存在し、殺伐とした戦国の世を生き抜いた城ですから、戦いに備えた強固で巧妙な構造があった筈です。
これが百名城というのは納得できないなぁ。

年季の入った銀杏の大木