日本100名城 №8  仙台城              登城日 2013.11.09
 
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所在地      仙台市青葉区川内1番地
城郭構造    連郭式平山城
通称        青葉城、五城楼
築城年     1601年() 安土桃山時代
築城主      伊達政宗
主な改修者  伊達忠宗
主な城主    伊達氏
廃城年     1871年(明治3年)
遺構         石垣、土塁、堀
文化財指定   国の史跡
 
 
   紅葉がやっと里にも下りて来ましたね。
今週末はJRの週末パスを利用して、東北の4名城+αを巡ります。

  秋晴れに恵まれた土曜日、朝早い新幹線に乗って一路仙台を目指します。
仙台城は“東北の誇り”伊達政宗がその持てる智と財を注ぎ込んで築いた超戦闘的な名城です。
 
 この地は古くから“せんだい”と呼ばれ、鎌倉期にこの地にあった城も“千体城”、戦国初期にあった城も“千代城”と呼ばれていました。
 政宗が居城の“岩出山城”からこの地に居城を移したのは1601年の事で、流行の天守は造営しませんでしたが、天然の嶮を利した、日本有数の堅固な山城でした。
 
 時代が進み、世の泰平が続くと山城の不便さから、城は麓への拡張が進み、二代:忠宗の治政には広瀬川を外堀とする巨城の平山城が完成しました。
 維新に際しては、伊達藩は奥羽列藩同盟の盟主の位置にあり、この城での抗戦も準備されましたが、会津若松でほぼ雌雄が決した事から、戦災に晒される事はありませんでした。
 
 しかし、江戸期を通して度々震災に襲われ、大きな被害を出しています。 その都度、大藩の財力で当代の技術を投入して修復されており、いろんな石垣が見られると共に、相対的な石垣のレベルは日本屈指の秀逸さです。

 明治以降、この城も軍の拠点となります。 
太平洋戦争後には米軍の進駐もあって、その度に建物・遺構が破壊され、江戸期からの建物は皆無ですが、戦後も“伊達政宗の遺産”はしっかり保全され、徐々に建物の復元も始まっています。
 
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二ノ丸下石垣の仕上げレベル
 
 
 
 
仙台城を歩く
1.アプローチ
 鉄路で仙台に降り立つのは初めてです。
東北一の都市だけあって、街並みにもセンスを感じる都会ですね。
駅からだと距離があるので、タクシーに乗り込み『青葉城の大手門前まで』と告げます。
 地元の人には“青葉城”の方が響きがイイかな? との気遣いw
欅並木が見事な青葉通りを進んで行くと、さかんに道路工事をしています。
 運転手さんによると、“地下鉄工事”との事で、完成したら地下鉄で徒歩でのアプローチが可能になりますね。


2.二ノ丸
 広瀬川を渡って、着いた所は二ノ丸の石塁下でした。 
すぐ上の左側に復元の隅櫓が建ち、奥に向かって土塀が続いており、その先に大手門が建っていた様です。
 この大手門、大寺院の山門にも匹敵する巨大なモノで、国宝に指定されていましたが、空襲で焼失しています。
 
 大手門跡を過ぎると二ノ丸で、正面には平時に政庁と居館を含めた“二ノ丸御殿”がありましたが、軍の駐屯の中心地であり、改変が進んで、今は東北大学のキャンパスになっています。
左に折れると、本丸へ続く坂道になるので、こちらを登って行きます。
 
 
3.本丸へ
 ここからが創建当時の“政宗の城”です。
山城にしては比較的緩やかな斜面を蛇行して登って行きますが、道が折り返す度に石塁があり、門の跡があります。
 石塁もほんとにバラエティーで、いろんな積み方が見れて、“石垣野外博物館”の様です。
 
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現代の機械加工のレベルでは?
 
  急坂になって、ゼイゼイしながら登って行くと、前方に高い石の壁が現れました。 
本丸外壁の高石垣で、隙間なくきれいに加工された石が亀甲積みされています。 
石垣技術の到達した姿ですね~。
 ちょっと城のイメージから離れた石垣を見上げながら登ると幅のある石段になり、本丸の土壇に到着しました。
 
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 颯爽とした正宗公  顔が駿府の家康公と似てます
 
 
4.本丸
 本丸の壇はとても広い一枚の平坦地で、北から続く青葉山の尾根ですね。 西と南は天然の断崖で、斜面で下がって行く東に高石垣を築いて、強固な郭を構成しています。
 北西側に護国神社が鎮座しており、ここは“西ノ丸”らしいです。
中央付近に展示館と飲食・土産物の建物がある以外は城址公園の広場になっていて、城下どころか仙台平野を一望できるほどの眺望です。 
 
 神社の裏の駐車場までクルマで登ってくる一般の観光客が多いのはさすが仙台城ですね。
 この壇には政宗時代には本丸御殿があり、政庁の中心でもありました。 南の崖際には懸造りの書院が造営されてて、四季移ろう自然の美と領民の営みを見ながら酌み交わすビール、いや酒はさぞ旨かった事でしょう。
 
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本丸からの眺望
 
 
5.西ノ丸
 西側の外堀を成す川の様子を見に、西ノ丸(護国神社)とその奥に進んで見ます。
 神社を過ぎると、中世の土塁構造になり、喰い違いを付けた土塁で搦め手の城門を形成しています。
 門を出て、少し下って行くと橋があり、谷川が現れますが、これはもう絶句!パイレーツオブカリビアンに出てくる、深さ50m以上ある蔓橋の峡谷です。
当時の登山技術では誰も登れないでしょう。
 
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 こちらの備えは万全ですね。
 残るは北側の尾根続きで、たぶん深い堀切で遮断するんでしょうが、築城時の東北に政宗の敵はすでに無く、城の存亡を掛けるほどの軍勢を動かせる山でもないので、造られなかったかも知れませんね。
 
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博物館の模型
 
 
6.下城
 下城前、昼を過ぎたので、城内の“牛タン”の店で賞味します。 
我が家も焼肉のスタートはタン塩と決めていますが、“極めた本場の味”はやはり違います。
仙台城に寄るのを忘れても、ハズせない仙台名物ですw
 
 この本丸を見れば、伊達政宗がいかに優れた武将であったか判ります。
なんとなく、上杉謙信につながる感覚を持つ人も少なくないでしょうね。
 本丸に土井晩翠の“荒城の月”の歌碑がありました。 
明治期に会津若松についで此処を訪れた晩翠は、政宗の栄華を想って作詩したのでしょうが、あの詩のイメージは重なりません。
今の仙台城は良い意味で“荒城の月”を裏切っていますね。
 
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