2011年6月17日(金)付
北杜夫さんの「どくとるマンボウ青春記」には、古き良き旧制高校のユニークな先生が色々と登場する。
ある英語教授は発音に厳しく、「イー、エー、アー」という母音の発音を、丸一学期間、生徒にやらせたそうだ。
▼さような先生に向かって、「dangerous(デンジャラス=危険な)」をダンゴラスと読む生徒がいるのがまた旧制高校なのだと、北さんは回想している。
書けるが話せない、読めるが聞けない。
日本の英語教育の、今日にいたる宿痾(しゅくあ)だろう。
▼批判にさらされて、文科省は「英語が使える日本人」を育てる計画を進めてきた。
今春からは小学5、6年で英語が必修になった。コミュニケーション重視の一環という。
訳読と文法中心で育った世代には、どこか羨(うらや)ましい。
▼英語なしにはグローバル経済の果実をもぎ取れないという声も聞こえる。
様々な人が一家言を持ちつつの教育の舵(かじ)切りだ。
その侃々諤々(かんかんがくがく)に口をはさませてもらえば、英語重視が日本語軽視を誘わないよう、気をつけたい。
▼第2、第3言語は道具だろう。
しかし「母語は道具ではなく、精神そのものである」と、これは井上ひさしさんが言っていた。
英語習得もたしかな日本語力が前提との説に、異を言う人はいまい。
▼振り返れば、日本人は自信喪失期に日本語を冷遇してきた。
敗戦後には表記のローマ字化さえ浮上した。
そして今、英語を公用語にする日本企業が登場している。
ダンゴラスで笑っていられた時代が羨ましい人も、多々おられようか。
***社説終わり***
宿痾:「長い間治らない病気」のこと。
英語を小さな頃から習うことは賛否両論ですね。
(否定派は、「日本語が定着していない時期に英語を学ぶことは・・・」という内容)
個人的には、小さな頃から楽しく英語を学ぶことは良いことだと思いますが、あくまで「楽しく習う」程度にしてメインではピアノを習うことをおススメしたいです。
あとは、家で「パズル」をやるのもいいですね!!