レトロオーディオ;中古レコード;石原裕次郎のLP「ミリオンセラーアルバム」を購入
先日「ハードオフ」で購入した110円レコードのことを書くことにした。
文字だけの記事だと寂しいので、レコードのプロフィールと内容を
以下に記し、ジャケットの写真をアップします。
裕次郎(敢えて呼びつけで)の出演映画の公開順で並べると、
56年;狂った果実
57年;俺は待ってるぜ、嵐を呼ぶ男
58年;錆びたナイフ、陽の当たる坂道、風速40米、紅の翼
となる様だ。
1950年代後半は昭和でいうと、昭和31年から35年で、
お富さん、りんご村から、この世の花といった歌謡曲が流行った時代だ。
まだ、新幹線は走っておらず、特急こだまの時代。
東京オリンピックの前のローマオリンピックの頃か。
我が家には、白黒テレビもなく、ラジオが楽しみだった。
だが、テレビが一般化する前には、娯楽の王様は「映画」であった。
当方、小学4年の頃には、ひとりで、徒歩10分程度の場所にあった
「○○シネマ」という封切り館ではなくいわゆる三番館の映画館に
毎週土曜か日曜に行っていた。
東映の時代劇と日活の現代劇や北海道などを舞台にした西部劇風活劇
(小林旭の渡り鳥シリーズ)と裕次郎の出演映画であった。
映画の中の挿入歌が流行したのであろう。
裕次郎の「おいらはドラマー・・・」(映画;嵐を呼ぶ男)はカッコ良かったなあ。
子供だからジャズなんかまったく解っていなかったのだが。
後に、この映画で敵役をなさったのが笈田敏夫さんとわかって、
スウイングジャズの名歌手であることが解ってきて、恐れ入った。
ジャズコンサートでステージで渋く歌われた生の笈田さんの歌を聴いたものだ。
話はそれたが、この映画で共演されていたのが、女優北原三枝さんで、
子供心に、美人だなと感じたのであった。
銀座の恋の物語、二人の世界、赤いハンカチ、夕陽の丘
といった曲がラジオやテレビで放送される時代になると、
当方、勉強しながらの「ながら聴き」で聴いていたのかな。
もう、映画のシネマスコープ・総天然色のスクリーンで観た、
裕次郎の足が長くて、中年太りではなくスリムな時代ではなくなっていた。
2人の世界は、鶴岡正義さん作曲でレキントギターを演奏されていたというのは、
数年前にラジオ番組での説明で知った。
夕陽の丘は、浅丘ルリ子と一緒に歌っているのだが、
会社員時代に、上司と関西に出張に行って、夜カラオケがある
カウンターだけの小さな酒場で、いつも上司が歌本を見ながら
歌っていたなあ。この曲は、当方、映画を観ていないし曲も知らなかった。
あの時代のカラオケは8トラックテープだったかな。
ちなみに、その時代に、小林旭の「昔の名前出ています」が流行っていて、
当方はこの曲を歌っていたかも。
で、記憶をたどって驚くのが、同時期に確かピンクレディーが出現していたり、
その後、山口百恵の「イミテーション・ゴールド」がヒットした時代。
歌詞を聴いても、それって何というくらい、タイトルの意味をわかっていなかった。
○タイトル
「ミリオンセラーアルバム」 石原裕次郎
○収容曲
A面
・二人の世界(映画;1966年2月25日公開)
・赤いハンカチ(映画;1964年1月3日公開)
・錆びたナイフ(映画;1958年3月11日公開)
・夜霧の慕情(映画;1966年6月1日公開)
・俺はお前に弱いんだ
・夕陽の丘 (歌;浅丘ルリ子とともに)(映画;1964年4月29日公開)
B面
・夜霧よ今夜も有難う(映画;1967年3月11日公開)
・銀座の恋の物語 (歌;槇村旬子とともに)(映画;1962年3月4日公開)
・俺は待ってるぜ(映画;1957年10月20日公開)
・港町・涙街・別れ町
・粋な別れ
・泣かせるぜ(映画;1965年10月1日公開)
○レコード
・企業名;テイチク株式会社
・レコード番号:SL−54
レコードの内容をコピーしたミニディスク
ジャケット;ミリオンセラーアルバム 石原裕次郎;表面
ジャケット;ミリオンセラーアルバム 石原裕次郎;裏面


