横浜球団は本当にくじ運が悪い。ドラフト指名で競合した時は、ほとんど負けている。ただでさえ戦力が劣っているのに、ドラフトで負け、資金不足で大物FAには手が出ず、外国人も不作と来たら、シーズン前から最下位決定だ。今シーズンは、その典型だ。下位球団にドラフト指名優先権か、大リーグのように金満球団から富裕税を徴収して下位球団に割り振る等、何らかのアドバンテージを与えてほしい。
1978年、1979年のドラフトで大洋ホエールズは、相思相愛の日本鋼管・木田勇を2年連続で1位指名しながら、2回ともくじで負けた。78年は広島が交渉権を得るも木田が入団拒否、79年は日本ハムがくじで勝ち、今度は木田も入団した。そして、入団1年目の1980年に新人で22勝をあげて投手タイトルを独占し、新人王とMVPを獲得した。翌年は10勝をあげるも、木田は賞味期限の短い投手で、その後は低迷した。それを1986年に大洋が金沢を放出してまで、トレードで獲得する(金沢・大畑と、木田・高橋正巳の2対2のトレード)。木田は1986年に8勝(13敗)をあげたものの、その後3年間で2勝と再び低迷、1990年に中日にトレードされて、その年で引退した。
木田は、横浜市旭区出身、第一商業高校から日本鋼管という、野球王国・神奈川の王道キャリアを進んだ。第一商業は一商と呼ばれ、現在は横浜商大高校となっている。昔、中小企業が元気だった頃、横浜の商店主の主な出身高といえば、Y校(横浜商業)、一商、関東学院、浅野、といった感じで、皆、出身校を必死で応援したものだ。日本鋼管は社会人の名門で、木田は1978年の都市対抗野球で日本鋼管を準優勝に導いている。なお、後輩の田澤が、横浜商大高→日石(新日本石油)→MLB(レッドソックス)と、やはり神奈川野球王国の王道キャリアを進んでいる。
しかし、これだけの横浜ゆかりの選手を、賞味期限内に獲得できなかったことは、返す返すも残念だ。しかも、木田のくじで外れて、代わりに1位で指名したのが、1978年が高本(勝山高)、1979年が杉永(鯖江高)と、まったく活躍しなかったから、木田を取れた場合との戦力差は相当なものだった。くじで勝てていれば、大洋の成績は、絶対に違う結果になった。これだけ、くじに見放されるとは、球団首脳の日頃の行いが相当悪いのだろう。
もし、川崎大洋のスカウトに見る目があって、木田を高卒で獲得してうまく育てていたら、横浜移転2年目の1979年の2位は、優勝できていたかもしれないと、タラ・レバで想像してしまう。
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