数年前、父親が他界した。


大腸ガンが発覚し、数回もの手術と多くの化学療法を行い、5年ほど闘病した末に亡くなった。


そのときの話を書いていこうと思う。




父の最期は自宅であった。


入院中、終わりが近いということでお医者さんが自宅看護に切り替えてくれた。


自宅看護が始まり2週間ほど経った頃に容体が急変し、いよいよあの世へ出発かと皆が思ったが、意外にも一旦父は持ち直した。


その後、数十分おきに父の様子を見に行こうと決め、私と母はリビングのソファでうとうとしていた。


時刻は、夜の11時。


連日の介護疲れで、母は寝落ちした。


後十分ほどで父の様子を見に行く時間だが、なんとなく胸騒ぎがして早めに父の寝る部屋へ向かった。


痛み止めの薬が効き、スヤスヤと寝ている父。


一見、大丈夫そうに思えたが何だか様子がおかしい。


よく見ると、目が少し開いており涙がにじんでいる。


また、呼吸のたびに顎が激しく上下に動き一生懸命に酸素を取り込もうとしているように見えた。


これはいわゆる、下顎呼吸(死戦期呼吸)とやらではないか?


そうこうしているうちに、父の呼吸の間隔が不定期になった。


次の呼吸まで2秒の時もあれば、5秒の時も出てきた。


これはさすがに危ないと思い、急いで母を起こした。


母が部屋に到着して数分としないうちに、父はあちら側の世界に渡っていった。




私は初めて、人が死ぬのを間近で見た。




人はいつか死ぬと頭ではわかっていたが、なんだかどこか他人事というか、ヴェールのかかった遠い未来の出来事のような気がしていた。


しかし今、目の前で起こった親の死は紛れもない現実であり、リアルな出来事である。



恥ずかしながらこの時初めて私は


「人生は有限である」


と言うことを知ったのだ。




父の死以降、私はこれまでの自分の人生を反省した。


何も志がない、やりたい事は後回し、時間がないお金がないと言い訳をし、のんべんだらりと無意味に過ごしてきた日々。


これまでの自分の人生の時間の浪費を悔いた。





生前、介護用ベッドの上で父が私に問いかけてきた言葉を思い出した。


「俺は結構好きに生きていたよな?」


父のこの質問の本当の意図はわからないが、私の耳には父自身のこれまでの生き方を肯定してほしいように聞こえた。


決して自分は不幸ではなかったと、好きに人生を生きられていたと、他者の私に同意を求めることで、無理矢理にでも自分の人生を納得したものにしたかったのではないか、と。



その出来事を思い出したときに、私はこう思った。



この先、いつ自分の身に何が起きようと後悔しないように生きていこうと。




そこから私は、1日1日を大切に過ごすようになった。


何気ない日常に感謝し、愛する人には愛をきちんと伝え、気になる事は後回しにせず、自己投資を怠らないように心がけた。




私の人生は、有限。



これは父からの、親としての最後の教育であった。





そして私は、この有限の人生において多くの人に、人生を生きやすくする方法を知ってもらいたいと思い、今も占い活動を行っている。



私の人生を変えてくれた数秘術の素晴らしさをより多くの人に伝え、それを自分自身のなりわいとしていくことが、私の限りある人生の目標なのだ。



今一度立ち止まって自分の人生を、自分の性質を、自分の才能を知りたい方へ。


数秘術による個人鑑定を行っております。

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一度にお一人様しか対応できない、私の全身全霊を込めた数秘術鑑定です。


親の死を書いた記事で宣伝はどうかと思いましたが、こうやって自分のなりわいを持つことへの一歩を踏み出す力をくれた「父の最期の教育」を実行したいと思います。


あなた様のご依頼、お待ちしております。



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