阪神淡路大震災、あれから20年… | つゆみのfairy日記

つゆみのfairy日記

母であり妻であり娘であるワーキングマザーの日常と、新しい家族、愛犬ラブの成長記録です。楽しいブログを書いて行きますので、宜しくお願いします♪

 
5時46分…今朝は静かに黙祷しました。
 
20年も前の事ですが、今でも昨日の事の様に鮮明に思い出されます。
 
当時長女は小学校1年生、長男次男は年中さん。
子供3人と私は2階のベランダのある南側の部屋で寝て、夫は廊下を挟んだ向かいの部屋に。
母は1階の私達の真下の部屋、そしてほぼ寝たきりの父は、在宅介護の為に建てた離れに寝ていました。
 
大きな揺れが来る前にゴォーっと言う凄い地響きで目が覚め、次の瞬間突き上げる様な大きな揺れが来ました。
かつて経験した事のない揺れ。
 
階下のキッチンからはガシャンガシャンと食器の割れる音。
何が起こっているのか…
あぁ…大地震だ。
何とか理解できた。
そして隣の子供たちを確認した。みんなに布団を被せ、揺れに身を任せるしかなかった。
このまま死んでしまうのか…
あの時は死を覚悟しました。
 
本来ならまだまだ暗い時間、なのに部屋の中もハッキリ見えた。
鍵をしなかったベランダの雨戸が開いたり閉まったり。
雨戸が開いた時、遠くの電線が揺れて青白い火花を散らしていた。
空が青白く光っていたのを覚えている。
 
揺れが収まって、最初にベランダから父の居る離れを見た。
大丈夫、倒壊してない。
 
揺れの中、1人で寝ていた夫が私達の部屋に安否確認に来た。
その夫が寝ていた枕元に衣装ケースが落ちていた。
 
私と子供の寝室は、日頃から箪笥や物を置かなかったのが幸いした。
 
階下の様子を見に降りようと部屋を出ると、余りにも凄い状態が…
壁が落ち、ガラスが割れ、靴を履かないと歩けなかった。
 
階下に行くと廊下の壁が全て落ち、通れなかった。
朝食の準備に起きていた母は、あの揺れの中這いながら石油ストーブを消してくれた。
 
恐ろしかった。
余震が来る度震え上がった。
それでも、その時はまだ本当の恐ろしさを知らなかった。
電気が復旧してテレビをつけて初めて、未曽有の大災害が起きた事を理解した。
 
燃え上がる長田の町、波打ち倒壊した阪神高速。 
大きなビルが、マンションが押し潰されてる。
いつも利用していた駅がペシャンコになってる映像はショッキングだった。
 
3階建ての駅舎が潰れている映像を見て、千葉に住む姉は我が家も倒壊してると思ったらしい。
 
あのまま揺れが続いたら、築30年だった我が家は倒壊していたかも知れない。
そう思うと、私達は生かされたんだと思う。
 
あの日から人生観が変わったのは事実です。
『じゃあ、また明日』
その明日は絶対来るもんじゃないんです。
 
犠牲になられた6434人もの尊い命。
生かされた私達に課せられた使命は、あの災害を風化させず、伝えて行く事だと思います。
 
黙祷。


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