良い人・嫌な人 常識とか普通は、なんて見極めで勝手に

解釈つけて強引に自分の尺度で区分けるけどさぁ・・・

 

 

 

 

 

 

今までの社会構造がピラミッド式に格差の段階を持って序列を配し情報や知識の隔たりによってその入り口の違いから受け止められる区分が次第に振り分けられ自ずと選別された解釈・認識の仕方が成り立ってしまっていたことで、

 

無意識なうちに支配する側とされる側、又はそれの管理する役割の様な立場を充てがわれてそのポジションを保持することがプライドや限られた評価の様に錯覚して、ただ闇雲に頑張ることでそこを夢中によそ見させないプログラムが成り立つのでした。

 

大きな結果を収めるには組織立った取り組みが必要になり、プロフェッショナル個人での全ての理解ノウハウを細分化し部門別に担当分け、全ての効率・数量・対応力で計画の段階から規模や世間への影響力が格段に違います。

 

 

 

 

 

これは成長の行き着く終着点は合理的安定と不安感のない当たり前の存在定着という何とも味気ない目的がそれだったのです。

 

ちょっと極端な言い回しではありますが、そう簡単には実現しにくいのでだからこそ頑張る・夢中になる必要があるのですが、自分の人生何だったのだろうと気づいた頃にはもう思い出の様な感覚で仕方がない程度に受け入れる、全ては自分がしてきたことなのだから自業自得と諦め身の程を知るなんて具合で成り立っていたんです。

 

だけど少し変だと思って本当にその程度の実力だったのか?昔はもっと若かった頃は夢中に取り組んで結構その筋では存在感あってもしかしたら結構イケてる範疇で、周りから評価高かった分野あったんじゃなかろうか。

 

これ全部仕組まれていたシナリオこういう風になる様になっている

 

成長するには全てはこういったプロセスを乗り越えて自らにそのスパイラルを認識させその違和感に仕向けられていた事は自らが選択せざるおえない風潮の世界観からなので、その気配が溶けて無くなれば、縋る安心感や何かに頼る心の支えがその先が見えなかった不安感の代わりに、ワクワクや得も知れぬ高揚感に置き換わっていたのだったらどうなっていたのだろう

 

やっぱり振り返って

思い出してみてください。

 

何かに憧れて親や周囲の大人に相談してもそうやって気が付かないスパイラルの世界観から抜け出せないでいた人達なんですから何を言ったって飛躍や冒険ごと程度にしか受け止めず、身の程を経験してきた取り返しのつかない人生を嫌と言うほど味わってきた経験からは決して良い方向とは捉えないでしょう。

 

だから選択は普通がいい、後戻り出来ないし幾らもがいても人生そう簡単なもんではないんだからと決定づけるのです。

 

 

 

 

 

 

 

つまらん!

 

少し変だ!

 

何でそうなる!

 

若い頃はどうしても抵抗感が湧いてきて反発心が拭えない!

だってこれからなんですもん

それをやりもしないで鼻から否定されりゃ〜社会が悪い大人が悪いと文句も言いたくなりますよ。

 

 

 

 

これ全てが金儲けが絡んでる!

 

どうしてもその仕組みから抜け出せないのは全ての根源はそこにあるんです。

 

それを理由に蛇口を制御して小出しに調整して自分の可能性を締めあげて調律を整えて波風立てない周囲とのバランスが大切だと錯覚させ甘んじさせるのです。

 

自らそれが最適でと決め込んで、それが自分の選択では誰も逆らえません。

 

その程度でいいと自らが制御して考え方を決めているんですから、どうしようもないじゃんか!

 

自ら奴隷を選択し鍵は空いてるのにそこに繋がれていることを気にもせず、その中での

幸せを求め一喜一憂する毎日です。

 

それが今の世界は自分が作っていると言うことになるんです。

 

 

目覚められてはこのシステムが台無しになってしまうので、心地よく不安と快楽をバランスよく施して、眠り続けることが何よりも安全なんですよを植え付けるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日お伝えしたブログで出来レースのプロレスの裏側を少し解説しましたが、

 

https://ameblo.jp/parts-mate/entry-12853681097.html

お耳汚しに時間潰しのブログ

 

誰しもがそれとなく知ってはいたものの、言葉に綴られると実しやかに解説が

納得でき受け入れている事自体、そんなもんでしょ!と成るんです。

 

だってみんそうなんだから!

 

そこを指摘してもどうにも変わらん!

 

しょうがないでしょ。

 

 

 

 

 

つまらん回答だ。

 

 

 

 

社長の事業も!

 

コミッショナーの戦略も!

 

角界の横綱の権限も!

 

ヤクザや政治家たちがそれぞれに役割を果たし適材適所に仕組みが刻まれ強固に成り立っているのは、それなりに興業のシナリオが”そう言うものだ”と決まり決まった文化の様に受け入れ育った仕組みの中にいるからだ!

 

誰が仕込んでそうしてるのかなんてくだらない解説は無しですよ。

今までの仕組みをわかりやすく現実の事象に当てはめて説明してるんですから、

 

 

 

 

 

 

ここからが本質の言いたかった事なんです。

 

 

 

 

 

要するに社会の成り立ちでどうやってうまく渡り歩いて過ごすのか、人目を気にしながらも一端の社会人として自分の主張を貫きながら家族を養っていこうと思えば、自ずと周りとのバランスを取りながら足並みを揃え見て見ぬ振りもそれなりに重要になってくるんですよね。

 

 

 

 

長いものに巻かれろ!

寄らば大樹の陰!

 

組織全体が一般社会に受け入れられるためにも、表と裏が必要で成り立ちから必然と昇格するにあたりそれなりの立場に準ずる使命も伴って他の団体とのバランスを保ちながら穏便に調律を重要視するんでしょ。

 

そう言った行為が秘密とか恐怖とかまるでオバケとか妖怪でも存在するかの様に怖い場所があってそこには近付かない様に立ち入り禁止になっていてよくわからなくてもまずはそこだけは避ける様な選択が自然と受け入れられる感じになっているんです。

 

だから祟りとか呪われているなんて言葉どこかで受け入れられていたり、ちゃんとした行いさえする事が心の何処かに潜んでいるのです。

 

全てがいい子である様に清らかで清純で潔白が理想であったとしても、それだけでは大人になれませんよね。

 

温室育ちで何の障壁もなくスクスクとはいきません。

 

汚いものや悪いもの善悪同一に役割があって必要な存在が伴っているわけですから、何でもかんでも薬でも使って制御していては、その一瞬だけは思い通りになっても必ずその見返りは返って肥大化して戻ってくるんです。

 

だから体の栄養も社会の仕組みも適度にバランスが最も大切で少しでも乱れ始めると自助制御を始めそれが過ぎれば複雑にこんがらがって何を大切にして来たのかすらわからなくなってしまいます。

 

だからあまり難しく考えすぎずに短調に自分の心に聴いて感じるままに判断し、そこからよく考え工夫と努力で思考も使い高嶺へと挑むべきなんです。

 

誰しもが今現在そうやって辛い思いも現実も味わっているじゃないですか、そこをこんな心持で受け止めて新たな時代を切り開くきっかけにする事ができれば、もしかして私たちがみんなの手本になって一足先に幸せを実感できる存在になれるかも知れませんよね!

 

少なくとも私は、このブログを始めたきっかけはこんな感覚から取り組み始めたので、ませに人生の復活劇をお知らせできるものだと信じ切っています。

 

もう4年くらいは過ぎてしまっているのですが、本当に少しずつそんな兆候が伺える気配になって来ておりますので、誰しもが遅すぎることはありません。

 

一緒に幸せを実感できる様切り開いていきましょう。