先日、横井庄一さんの話を観ました。

 

 

 

 

もうご存知の方の少なくなって来ているでしょうが50年ほど前にグアム島から帰還された最後の日本兵のドキュメントでした。

 

物事は実際に自分が体験しなくとも、知識や認識の範囲で十分に理解出来てしまうのでその伝達手段の言葉にはとてつも無い能力が秘められているのだなぁとヒシヒシと感じさせられました。

 

 

何故あれ程までの忍耐と壮絶な人生を選んでしまったのでしょう?

 

また世間に与えるセンセーショナルな事象がその時代に何を理解させようと起きた事なのでしょうか?

 

 

理解している認識の範囲では科学によって立証できさえすれば正しい。

 

原因不明、解析できないものは証明できない限り納得しないと言うのはただ単に自分の解釈に過ぎず、だからなんだと言うのだろうか。

 

知る事の始まり・投げかけと、理解・納得した後だけではなく経験したり後悔したり感情の揺れ動きや努力修練の果てに辿り着く閃きが身についていくのです。

 

それは人それぞれ味わいが違うように誰一人として同じ人生を歩むことはないのと一緒でどれだけの経験を積めば悟りを拓けた人格者になるのでしょうか?

 

たとえそこで人格形成が成り立ったとしても、清廉潔白気よく正しく美しくが理想と言い難いでしょう。

 

性格も違えば解釈も違うしその時のタミングによっては被害的・攻撃的にもシチュエーション次第で何とでも違って来ます。

 

当時の50年前の日本の民衆の反応は素直にダイレクトな反響が一過性の振る舞いを見せています。

 

 

 

 

 

とすれば、

現代の我々も50年後の未来人からすれば何とも愚かな選択を持て余しているように映るのでは無いでしょうか。

 

歴史は繰り返す、行きつ戻りつ成長しても生存・存続・繁栄・繁殖、生命体である以上どんな知性を振るっても本能的原動力はコントロールに余りあるのでは無いでしょうか?

 

https://youtu.be/Ma8aJNenvJ4

エンキとエンリルでさえ似たような物

 

https://youtu.be/rXw5cKiv-L4

色即是空

 

https://youtu.be/t0jGOBRFtQw

アトランティス

 

それでも排除していい人ばかりを選んんでもその中から必ず変化が訪れて成長の末また似たような違った配慮で繰り返されるのでしょう。

 

哲学を文章として読み解いたところで学問の堆積に過ぎず、実体験を経てその当事者である事を理解し共に反響しながら薄まっていくように馴染み同一化した時、

本当にそれが願った答えになるのでしょうか?

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=j899sADpIBM

ゴリラの話