久々に素敵な人を紹介します
竹内昌彦さんです。
完全盲目であり壮絶な人生をおくられた経験を講演活動をもってご紹介してくださっています。
人類は平等ではありません。
なぜ自分ばかりこんな目に遭わされるのだろう、同じ事をしても許される人やもっと待遇の良い結果を得る人など、他人を羨み自分に置かれた境遇をなじったりした事がおありではないですか?
世界にはいろんな人が居ます。
いろんな役割がありバランスと秩序を持って成り立っているのだと心から
思わせられます
健常に生きなに不自由なく生活できる場にあっても何かしら言い訳を探し、出来なかった困難である理由を探し、しょうがない諦める正当な生涯で諦めたのだと言い訳するのです
本当なら時と場合次第では可能だけど理由があるから諦めたのだと!
まぁ〜そんなもんですでいいじゃないの。
大半はその曖昧な判断で、できる範囲が幸せである象徴なのかもしれません。
何かしら痛い目にあってみたり辛い思いを避ける為の回避行動が原動力になることは多少の悲壮感をまねきますが、だからこそ仕方がなく頑張るに直結したりもします。
それにしても障害者であること受け入れざるを得ない人生を宿しておられる尊い存在の方々の尋常ならぬ人生ドラマは平和にどっぷり浸かった、半ばボケてしまった毎日を繰り返してる我々には少し恥ずかしくなってくるくらいの重みを感じます。
本当に沢山の偉人たちに障害に屈せずただ一途に徹した偉業をなされている人は
たくさん居ます。
結果で批評や評価を判断しても、解釈の穴を埋める為に上っ面の情報ばかりに囚われがちですが言葉では言い表せられない、経験と言う妙に勝るものはありません。
愛おしく愛情が沸き抱き申し伝えようのない感動と尊厳を拭いとる事ができません。
もし自分だったらどうなんだろう?
途中で諦め自暴自棄に陥りそんな選択をしてしまうかも知れない
到底真似できないが自分には幸いに健常にして今に居る現実で、この真実を知る事ができました。
素直に感動し素直に敬服できた事、あんなにも苦しい経験もせずに少し話を聞いただけで溢れる思いを経験できたことはなんと言う幸せ者なのかと思わせられました。
スティービーワンダー・レイチャールズ・高橋竹山・瞽女など、名だたる著名人が情報社会の仕組みで世に知れ渡るのですが、それはどうしてもブラウン管の外側で都合よく揺さぶられた感情の題材に使われます。
現在の偉人にも車椅子テニスの国枝慎吾やピアノ演奏家の辻井伸行など世界的な有名人となり、健常者とて全くもって手の届かない領域におられます。
通常の偏見をもろともせず、どんな状況でも自らの意思を磨き貫き成し遂げて来られた生き様は、登山の新たなルートを切り開き達成するための先駆者の様な役割にすら見えてきます。
都合のいい解釈は自分の周りの社会を作り出します。
今その中にいます。
戒めようが虐げようが自分が作り出した生き様が今となり、
思考の癖がこれからの判断作ります。
他人を羨み自分の悲劇を受け入れ何もしないのでは何の為にここに居るのでしょう?
彼らの様に偉業は為せなくとも、その原動力は愛そのもので結果を求めての発動ではないのですから、決して素晴らしくなくてもいいんです。
今すべての人々にそんな投げ掛けをされているのだろうと思います。
少し早いか遅いかの違いで理解を深めていきます。
何も苦しめる必要はないんです。
しっかりと目を見開き自分である事を再認識される事をお勧めします。