自分たちが招いた現実を自分たちで何とか対処して良い社会を作りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

ふざけるな!

文句あるなら自分でやってみろ!

 

子供の頃から社会や大人に対して反抗してみたりふてくされてみたりして理不尽な社会に対して違和感を持ったことは誰しもあるはずです。

 

多くの考え方が共に暮らし自分の主張に責任を持ち対峙し混濁してくると、何度も同じ様な繰り返しの末安泰な結末に落ち着かせようと仲裁からの妥協点を探し出し、大事にならない様な解決策に仕向けることも起きてくるこれある意味、外事的抑圧が押し寄せられてくる典型だ!

 

争いと言うか主張の張り合いが与える側と受け止める側によって正反対の要求が存在し立場によって取り巻く責任や負担を正当に分担し同等な負担配分を分かち合うことに無理がある事が要因になる。

 

時にこれはその瞬間の出来事であり、長いスパンを持って到達地点の複合的視野がいろんな取り合わせによって平和に強調し展開される様な時間の経緯が必要になってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

母親になってみて初めて分かったとか、上司の言ってる事が納得できた瞬間は一方的な押し付けに対する抵抗が解釈に蓋をしめ閉ざした閉塞がもたらす矛盾を自らでもって解き放つ必要がある。

 

一々こんな事、真剣に考えていられないから大多数の意見に飲まれて同調を選択、時流に合わせて押し流される訳だ。

 

 

 

 

 

 

”全てはお上の為せる技”言いつけを守り人を疑うことを選ばず信じることから始まる、そんな生き方が日本人なのでしょう。

 

しかしそれが裏目に出れば、これほど都合よく従順に抵抗なく従う民族も珍しい。

 

扱い方次第で「特攻隊に志願して、みたこともない天皇陛下のために死んでいく」かと思えば政府が公にマスクを推進すればほぼ全員言う事を聞く、疑いながらも国民自ら自叙統制で戒めを化しお互いに管理し合うのだ!これは恐ろしい程に洗脳されて統治できている証拠である。

 

何度となく繰り返されてきたこの馬鹿げた現実を「自分で何とかしろ」には限界がある。