今を楽しみ味わう事をお勧めします
冬至の日を迎える前日です。
最大にして大切な分岐の最終日です。
今まで良く最善を尽くされ過ごしてこられました。
本日を最終日として迎えられた事を素直に喜んでください。
この時点でのマインド設定があなた自身で作り上げた最大にして大切な結晶のような存在です。辛い事・楽しい事をたくさん経験され、人を愛したり恨んだりいろんな感情を味わいながら本当の成長とはこの到達地点での領域に達するための必要にして味わう時間だったのではないでしょうか。
明日の昼夜同調の時を境にこれからは全てが好天に転じていく事でしょう。
ご自身で知ることのできる位置確認とでも言いましょうか、次元とした心のあり方を確認したくて誰かに正しいのか?合っていますか?などと聞きたくなる衝動が湧いてきます。
そんな事をして何を知りたかったのでしょうか?でも不安を抱えそんな毎日を過ごしていると心の拠り所を求めてしまうものです。
それが今日の日の自分のあり方を俯瞰して見つめてみてください。
それがあなたです。
これまでに辿り着いた最大にして大切な存在なんです。
どうですか?
うまくできてますか?失敗作ですか・・・?
よくぞここまで辿り着いたもんだと!思いませんか?
こんな感覚を説明してくれています。
自分本意の”エゴ”ベースに物事を考えるとどうしてもその考えに対しての反応を期待してしまいます。
理想通りの反応を得られなかった事に審判を繰り返し結果いつまでも評議する事が終わりません。
個人個人の主張を整えようとしてもその数の分だけ結果を求めてしまい同調する事に要点を向けてしまいます。
愛をベースに発想する事で施しや見返りを期待せずただ単に最良の選択だけが注がれる事になります。
多種多様な愛の表現の違いがあったとしても、全てが最良にして最善の行いになるんです。
基本的にすべての人が悪くしてやろうと発想するのではなく、立場の違いから良かれと思って行った事が自分とは反対の立ち位置で逆に被害を被る場合が存在する事があるんです。
争いとはそういう事です。
何においてもこれを法則のように当てはめると日常のどんなパターンにも当てはまります。
例えば仕事で新たな提案をする時でも、その場のシチュエーション次第で協議する以前に大方反応とした回答は決まっているのです。
お膳立てや立場を踏まえて段取って倫義的に組織の大義を乱す事がないような計らいをとっていれば成立しますが、大半は決定権者の意向に即した段取り次第で物事が成り立っています。
社会のルールはみんなで過ごしやすいように作り上げられた仕組みなのですが、それが締め付けなのか掟なのか、疑問を抱くことすら御法度のように振る舞い諦めたり受け入れる事で、調律を乱さないように平準化させているのです。
その必要性が知らず知らずのうちに萎縮して個人の可能性に自ら制限を掛け、無限の可能性をセーブする事が常に必要と錯覚させられてきたのです。
それを取り除きましょう。
決して空気を乱す事が悪ではありません。
主張の合わない人にもご自身の選択権があるんです。
無理に同調して昼夜を同じに揃えなくとも、今からはっきりと望んだ方向にシフトしてそれぞれの歩みを進める事で、具現化した現実が訪れる事を味わいましょう。
少し早めに気がついて選択を自由気ままに振る舞うだけで、それができなかった発想の人も自らのタイミングでまた選択すればいいだけのことです。
それを自由というんです。