受験体制の終わり

 戦後民主主義(1945.8.15)の平等主義の産物である「受験体制」は、高度経済成長政策(1960.7.19)から始まり、金持ちの子と貧乏人の子を平等と看做して一緒に教育して競争させる体制であったが、この体制の限界は三島由紀夫(1925-70)の『天人五衰』(1970.11)や大江健三郎(1935-2023)の『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(1969.4)によって指摘されたものであり、この体制自体はオウム真理教事件(1995.3.20)によって最終的に終わったものである。