「大切なものは目に見えない」のか・・・? | 走るおっさんライダーのブログ

「大切なものは目に見えない(んだよ)。」
時々耳にするこの言葉は、もともとサン・テグジュペリの『星の王子様』に出てくる言葉だ。

 

Wikipwdiaによると
 ---<引用>---
 『星の王子さま』(ほしのおうじさま、フランス語原題:Le Petit Prince)は、
 フランス人の飛行士・小説家であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説である。
 彼の代表作であり、1943年にアメリカで出版された。
 ---<引用終わり>---
となっている。

 

前々回の記事で、”走るおっさんライダー”はこの言葉が嫌いだと書いたその理由は、
一つには、逆説的に「目に見えるものは大切ではない。」と言っていることになるからだ。
しかし、果たしてそうなのだろうか?

 

まず「目に見えないもの」として、こう言った場合多くの人の頭に浮かぶであろうことは、
“愛”“思いやり”“慈しみ”などの感情、
“魂”“心霊”“精神世界”“非物質社会”などと言った、存在証明ができないことなどではないだろうか?
そして、「それらの“目に見えないもの”を大切にしなければならない。」と言う主張へとつながる。

 

しかし、“憎しみ”“妬み・嫉み”“嫌悪”も「目に見えない」感情である。
それなら、一般的な意味としての、プラスの(好意的)感情もマイナスの(敵対的)感情も、
同じように「目に見えないもの」として、大切だということになるが、そこまで考えているのか?

 

「大切なものは目に見えない。」という言葉を悪用する者は意識的に、
この言葉を言われた側は無意識に、プラスの(好意的)感情の部分だけを想起し、
「だから・・・」と、これに続く主張を否定しにくくする効果があり、危険だと思うのだ。


更に、存在証明ができない“魂”“心霊”“精神世界”“非物質社会”などを指して言う場合、
宗教においては、脅しに使われたり、またその宗教の正当性に使われているのではないだろうか?
そもそも、物理なり科学なりの分野で、「目に見えないもの」の存在の全てを否定してなどいない。

目に見えるかどうかは、物理や科学の分野では大した問題ではないだろう。

 

その他の例としては、富める者を批判する時に、
「物質(財産・金銭)的に豊かであっても、必ずしも心が豊かとは限らない。」と言った意味を込めて使われるだろう。
しかし、そんな因果関係があるとは言えないし、比較することもできないのではないかと思う。
つまり単に、自己弁護(言い訳)ではないかと思うのだ。

 

“走るおっさんライダー”は富める者ではない。しかしだからといって、富める者をそれだけで批判する気はない。
正当な努力の結果築いた正当な財産なら、その財産を持つ者が

「心が豊かではない。」と言えるはずが無いと思うのだ。
正当な努力とは、誰かの役に立つということであり、正当な財産は、その結果として頂くお返しによって築かれる。
だから正当な財産の大きさは、どれだけ役に立ったかの証とも言える。
高い生産性や、優れたアイディア、公益性の高い重要な事業などには、それに見合った高い報酬があり、正当な財産になる。

 

坂本竜馬の興した亀山社中が利益を上げることは、批判されるべきことか?
松下幸之助氏、本田宗一郎氏、盛田昭夫氏などが、世界的な企業を作り上げた業績は「目に見える」から、大切ではないのか?

 

ちなみに不当な努力とは、“騙し”や“脅し”であり、それによって築かれるのは不当な財産だ。
地位や身分を利用して、特別な利益供与を受けたり、特権が与えられる場合も、地位や身分による“脅し”と言えるだろう。


そもそも、金銭(貨幣)や土地などの資産も、単純に「目に見えるもの」とは言い難い面がある。
日本の貨幣は、日本国の“信用”という「目に見えないもの」に支えられている。

「だから、目に見えないものが大切なのだ。」と言うだろうか?
「いやちがう。」と言いたい。
土地の価値は、原発の事故で「目に見えない」放射能に汚染されれば、その価値を失うのだ。
放射能による汚染は「目に見えない」が、大切ではないはずだ。

 

「大切なものは目に見えない。」という言葉は、
「目に見えないもの」と「目に見えるもの」とを二分し、一方が大切で、もう一方が大切ではないと言う。
しかし、このような二分論で語れるものではない。
つまり「目に見えても見えなくても、大切なものとそうでないものとがある。」のだ。

 

魂があろうがなかろうが、肉体という「目に見えるもの」があるからこそ、生があり死があり、死を悼む感情がある。
「現世は魂の修行の場」という人がいるが、「目に見える」肉体がなければ現世の魂の修行はできないだろう。
財産があろうがなかろうが、その多少が幸福感と因果関係にあるとは言えないのだ。
そんなことで、努力をしないことのなぐさめに使ってはならないと思う。

 

「大切なものは目に見えない。」という言葉は、絵本の中の言葉だ。

絵本の中だけでなら、取り立てて文句の言いようはない。
もっと言うなら、“走るおっさんライダー”は、この言葉自体が嫌いというより、


本当は、この言葉を“知ったような顔をして、実社会で言う”場面が嫌いなのだと言ってもいいかもしれない。