みなさん、こんにちは。
今日は歴史の勉強です。
日本とフィリピンとはスペインによる植民地化以前から関係があったと言われていますが、本格的に貿易が始まったのは、1592年、豊臣秀吉によって朱印船貿易がおこなわれるようになってからでです。
その当時、戦国時代の和泉国堺の貿易商人で納屋(菜屋)助左衛門という人がいました。またの名を呂宋(ルソン)助左衛門と言います。
呂宋助左衛門像
『太閤記』などによれば、安土桃山時代にルソン島に渡海し、貿易商を営み、豊臣秀吉に対して蝋燭、麝香、真壺、ルソン壺、唐傘、香料など珍品を献上するなどして、秀吉の保護を得て日本でも豪商として活躍しました。
1598年、あまりに華美な生活を好んだため、邸宅没収の処分を受けることになりますが、事前に察知してその壮麗な邸宅や財産を菩提寺の大安寺に寄進して日本人町のあるルソン島へ脱出しました。当時のマニラには日本人町があったんです。
しかし、日本人町は、江戸幕府の鎖国政策により日本との往来が途絶えたため、日本人が現地人と同化する形で消滅しました。だからフィリピン人の中にはもしかしたら日本人の血が流れている人がいるかもしれませんよ。
昭和53年(1978年)に『黄金の日日』という大河ドラマで主人公として描かれているので、ある年代以上の方はご存知かもしれませんね。
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