フィリピン独立運動No.3 | オンライン英会話のパロッツ君

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みなさん、こんにちは。

フィリピン独立運動の第3弾です。

今回はフィリピン共和国初代大統領の

エミリオ・アギナルドを紹介します。

エミリオ・アギナルド 

彼はフィリピン共和国の現カヴィテ州カウィットの町に生まれました。

1892年に前回紹介したアンドレス・ボニファシオが中心となり秘密結社「カティプナン」を結成し、8月にスペインに対して武装蜂起した際、アギナルドは現カヴィテ市にあたる町で町長を務めていましたが、カティプナンの戦列に加わることになりました。

1897年、カティプナンの内部抗争からアギナルドはボニファシオを銃殺し、指導権を握った後、ゲリラ戦を展開しつつスペイン軍と交戦を続け、同年11月、ブラカン州に総司令部を置き、「ビアクナバト共和国」を樹立し、自ら大統領と名乗りました。同年スペインと和平協定(ビアクナバト協定)を結び、アギナルドをはじめカティプナンのリーダーたちは香港へ亡命しました。

1898年2月、米西戦争が勃発したとき、アメリカ合衆国はフィリピンの独立に全面協力することを条件に、香港へ亡命していたアギナルドに米西戦争に協力しフィリピン上陸の案内をするよう要請しました。アギナルドはこれを受け入れ、米艦隊とともにフィリピンに帰国し独立運動を再開し再戦。マニラ湾海戦の後に、独立軍を率いてスペイン陸軍の攻撃に移り、1898年6月12日に現カウィットの自宅にてフィリピンの独立を宣言しました。

現在も6月12日はフィリピン共和国の独立記念日とされています。
現在見る「フィリピン国旗」と「フィリピン国歌」は1898年6月12日の独立記念日に合わせてアギナルドが作らせたものです。

国旗 

1898年8月13日、米軍とともにマニラにあったスペイン総督府を陥落させスペインとの戦闘を終結。9月15日にはブラカン州マロロスで革命議会を開催し、翌1899年1月23日にはマロロス憲法を公布しフィリピン共和国(第一次共和国)を樹立、初代大統領に就任しました。

5ペソ 
 
彼の業績を記念し、
マニラのエドゥサ通りにあるアギナルド空軍基地(国防省が同居)にその名が残されています。また、1987年より発行されていた5ペソ紙幣に肖像が使用されていました。


カテゴリー: 日記  作成者: parrots  パーマリンク  

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