ASDの特性の1つに、相手の気持ちを想像できない、と言われている。しかし仏教では、自分自身が理解できないのに他人の気持ちは分かりっこない、だから相手を理解すること自体がおこがましいこと、と言われている。そもそも、ASDの特徴である相手の気持ちを理解できないという点は、ASDだけでなく全員にあてはまる、つまりそれが人間の本質でしょ?と言われているように思えてならない。
 
アルボムッレ・スマナサーラ「40歳から悔いなく生きる ブッダの智慧」
p.121 「人を理解しよう」という失礼な態度をやめる。「相手のことがわからない」「理解できない」は当然のこと。
p.132 子供の頃「自分の事ばかり考えず相手の気持ちを考えましょう」と教育された。でも自分自身の事もわかっていないのに、まして他人の気持ちはわからない。
 
では自分はどうしたらいいか?草薙龍瞬「反応しない練習」が参考になった。
p.103 「心の半分を前に、もう半分を後ろに使う」
①前を見る心は、相手をそのまま見て反応せず、ただ相手の言葉を理解する。
②後ろを見る心は、自分の反応を見る。
従来、仕事ではそれを無意識でやっていたが、結構疲れる。
 
p.110 困った相手とどう「関わるか」
①相手を判断しない。
②過去は忘れる。
③相手を新しい人と考える。
④「理解し合う」ことを目的とする。
⑤「関わりのゴール」を見る。
このあたり、認知行動療法と何となく似ている
 
p.172 人間関係を円くおさめる「4つの心がけ」慈・悲・喜・捨
慈 相手の幸せを願う。自分の都合や欲求を通さない。
悲・喜 相手の苦しみ・悲しみ・喜び・楽しさを理解し共感する。
捨 手放す、捨て置く、反応しない「中立心」
 
ASDだから相手の気持ちを想像できない、と言われるが、仏の教えでは人間の本質だと説いていて、もう相手の気持ちに拘らなくていいんだ、と吹っ切れる。