さて今月は浅井家居城小谷城を攻めて来ました。浅井3姉妹のターニングポイントは何処やったんやろか特に3度の落城経験してる茶々さんは姉としてつっぱしたんやと思います。小谷城登って感じたことは良くこの城落ちたなと疑問に思い現地ガイドさんにどうやって落城したのかと聞いた所、本丸が頂に無かったので頂からと麓からの3か所から攻められしかも戦国あるあるの内からの裏切りに合った事が落城に繋がったらしいです
このガイドさんも裏切った方の末裔で話しにくそうにしてました。しかし裏切った時期が遅く今更なに言うてるねんと言われ上の方の方々は切腹ではなく打ち首処分を受けたらしいです。下の方は処分を免れ今に至ってると聞かされました
ここ小谷城戦国歴史資料館で学びとスタンプを頂きました。
車をすぐ近くの戦国ガイドステーションに移動させて登場開始です。この日はシャトルバスが出ていたので番所後まで乗車帰りは、歩きで下山プランでGO
曲輪
琵琶湖に浮かぶ竹生島。いい眺めです。
検問所の番所後と御茶屋跡んお茶するには景色良くないしと思ったら軍事施設があったとかなんで御茶屋なんやろ、後でガイドさんに聞こかと思ったとこで聞くの忘れてた
御馬屋跡と馬洗池。水ないやん
伊吹山高い
首据石。内通者の首を晒したとか
尾根にこんなの発見。竪堀ですかね
あっちこっちに石が落ちてるには訳があり小谷城落城の際一番手柄として秀吉が信長よりこの城を与えられましたがこれからの時代は山城やったらあかんと考え今の長浜城に移りました。その際この城は難攻不落堅固な城やったんで、盗られると厄介と言う事でとことん壊したそうです。因みに長浜は京極氏の時は今浜と呼ばれてたのを信長の長を頂いて長浜になったそうです(・_・D フムフムせやけど本間に石多いな
1573年9月1日長政29歳自刃の地、重臣赤尾氏屋敷跡です。信長の兵に攻められ本丸に帰る事が出来んかったのでやむなくここで最後の時を迎えました。
家臣供養塔です。
ビュースポット桜馬場、七本槍で有名な賤ケ岳も見えます。前編はここまで