全ての検査結果が出たときは

下の子も休みを取って来て

家族が揃った。


前回詳しいことは話したから

下の子が聞いた説明は治験の話しとかで

かなり難しかったと思う。


普段、医療に触れてない息子は


何のこっちゃ?

だったと思うけど


私の肺がんは完治できないと言うことと

抗がん剤をずっとやり続けないといけないと言うことだった。


抗がん剤も効果がなくなれば他のものに変えるけれど選択肢は減っていくこと。


余命に関しては何言わなかったけど

CTの画像が真っ白でいっぱい小さなものも写っていて


それが転移だと言うことも

ちゃんと理解できた…と

言っていた。


それから自分なりに調べたらしい。

ネット社会だもんね。

情報はたくさんある。


「入院までに会いに行くよ、一緒にするでる友達も心配してて会いたいって言うから連れて行く、」


それは流石に理由をつけて断った

よく知っている子だけど

何よりしんどくて話せない。


なにより、この頃は平気な顔して最初から簡単に説明するということが

とても苦痛になっていた。


まだ自分で消化できていない感情が燻っているのに余計だわ。


先日も弟夫婦が来て

簡単に話したけど


話したからどうなん?

たとえ姉弟でも何年も離れて年に数回

会うだけで

コロナ禍になってからは付き合いもなくなっていた。


話したところで何かこう言うことなら援助できるよとか

助け合えるよ、なんて言葉はひとうもなかった。


付き合いの少ない姉弟なんてこんなもの。

心配はしてくれてるけど多分それは友達レベルなのかな。


入院する前にって

友達もみんな会いに来てくれるけど

話すことが息苦しかった。


もうすでに、

気持ちが病気に負けていたと思う。