さて、平成最後に来日した令和男、主人。
早いもので半年経ちました。
在韓時代最後1年と先に日本移住の1年間くらいか、主人とバラバラに過ごして、ココ令和になって、久々の同居。
記録として書いておこうと思います。
まず主人との再び同居(笑)。
韓国の忠清北道のクマンで、10年以上勤めた長年居た会社を辞めてから、建築系で派遣として地方に行くことも多く、週末家族になることも多く、なり、韓国の田舎では本当に、不安な日々で母子生活してました。
私とポクの2人が先に日本に来てからは、主人は、たまに日本に来て、韓国とのLINE電話での会話でほとんど家族って感じも薄れてしまってました。
記念日系の誕生日とかも、主人が不在が多く、遠方な為、1週間遅れて記念日しようとか、とか調整の問題でなく、全員で何かするのが出来ない状態も続きました。
そして、旅人は家に仕事、幼稚園など身辺整え、一応主人迎える準備を頑張ってした後、平成最後の来日。
初めは見慣れない、久々に大きい物体が邪魔して、イライラしたこともありました。
母子2人に慣れてしまっていて、ご飯準備も手軽。実家にお世話になったり、泊まったり、気楽な部分も多くありました。
でも来日してから半年経つと、最近はお互い時間も役割分担も上手に調節できて、家族だったり、2人で出かけることが出来る素朴な余裕が出てきました。
2人仕事の時は主人にポクを実家に連れて行ってもらったりも出来るようになるし、良い部分も。実家に行く数が減ったので実家も老体でも、孫の面倒を数時間でも随分引き受けてくれています(笑)。
5月からフルに変更し、更に平日休みになってる旅人なので、平日に主人と日本語学校の後にランチデートできたり、ちょっと休日に時間空いたら、自転車で出かけたり。2人はもちろん、3人でも仲良く出かけられるようになりました。
次に心配だった仕事。
1番心配なパターン。
やること無く家でゴロゴロされてたらどうしよう。
経済問題も少しは心配でしたが、それよりも働かないことに慣れて、この先も仕事する気が無くなったらどうしよう。。。
最悪ならコンビニ、最近は人手不足だから、引く手あまたの飲食系でのバイトも視野に入れときました。
うまい具合に韓国系の流通のバイト募集をなんとか、こぎつけました。家からも通勤がそこまで大変でもないし。
正社員でなく、バイト扱いだけど、もう、初めは仕方ない!働いて外に出ることが先決!でも勤務先は、時給もそこそこ、食事付き、交通費出る、福利厚生では温泉宿もあるとバイトながらも結構待遇よし。
1番大きかったのは、韓国系なので日本語の言葉が出来てなくても、仕事することが出来ること。私が電話しても全然日本語で言ってくれん!
今回の募集部署は、運転必要でしたが、韓国で運転にも慣れてたので、来日してすぐに免許を日本の免許に変えて仕事で利用できたのは大きかったです。
段階を踏んで、午後の仕事も慣れてきたので、勤務前に、上手く日本語学校に通い始めました。
日本語も少し勉強する時間も出てきました。
仕事先で先に日本に住んでる韓国の人に学院もどこがおすすめかとか、生活についても韓国目線で見た情報交換ができたのはよかったかな。
朝は子供たちの通学と同じ時間なので、子供好きの韓国人。ポクの友だちとも少しづつ話せたり、日本語学校でも他の国の人と友達になり、日本語を使う機会も増えてるようです。
家も日本語がいいかもしれませんが、やっぱり自分の言いたいことを言えなくなるストレスもあるので、従来通りの韓国語での会話です。
でも、ポクと交換授業やってます(笑)
全体的感想
男性だと、日本も合う合わないあるようですが、我が家では、主人は日本の生活は安定して、楽しいようです。学校の生徒とご飯を食べにも行くと言ってて、少しづつ交友関係も増えています。
韓国だと、家、出身校、お金、車など富豪がステータス。何かの時にそういう自分との比較とか出てきます。
でも、日本では素朴な行き方でも認められる事が、主人にはかなり韓国に帰りたくない理由の一つのようです。主夫でも認められる日本。車なくても関係ない、バイトでも別に特に何も言われない。主人も韓国のように、そうでなければいけない!みたいなプライドがないので、個人的にサラリと生きたいみたいですし(笑)
また、変に不動産とか資産を持ってると、支援も減ります。
今回は学童無料や、給食費など無料。
消費税増税で10%増額されて使えるプレミアム商品券など、低所得の方が恩恵が多い(笑)
といって、共働きで、収入も入ってる。
これから、中学受験とか、家の取り壊し時には家を買うなど、色々支出があると思うので、ひっそり低所得なりの貯蓄をしていこうと思います。
半年はこんな記録。