- 聖の青春 (講談社文庫)/大崎 善生

- ¥730
- Amazon.co.jp
羽生善治という名前を聞いて「知らない」と答える方は少ないと思いますが、
村山聖という名前を聞いて「知ってる」という方は、将棋ファンしかいないかと思います。
東の羽生に西の村山
と言われたほどの実力者。
彼が生きていたら、将棋のタイトル戦の結果もさぞや違うことになっていたでしょう。
村山聖は、5歳の時に難病であるネフローゼにかかっていることが発覚します。
余儀なく入院生活を送ることになり、同室の子供が翌朝亡くなっている姿を
何度も見たそうです。難病との闘いで高熱を出しては体調を崩す生活が、その後
も続きました。
そんな中、父親が教えてくれた将棋に目覚めます。
自分が思うように体を動かせない中、将棋の駒たちは自分の思う通りに動いてくれる。
そんな楽しみが彼を夢中にさせました。
体が悪い中もプロ棋士の養成機関である奨励会に何とか入会します。
(もちろん、その間に輝かしい実績を持っていたから入会できたことはいうまでもありません)
奨励会での彼の成績は輝かしいもので、羽生、谷川といった名人経験者よりも短期間で
プロ棋士である四段に昇段します。
でも、彼は短期間で昇段したのではなく、昇段せざるを得なかったのです・・・
プロになってからもA級まで上がりつめるほど彼の棋力は群を抜いていました。
A級とは、プロ棋士の中でトップ10に入っていることを意味します。
しかし、病魔は彼の体を侵食しつつあり、ついには膀胱ガンを発症します。
A級順位戦はおよそ9ヶ月をかけて戦われます。
その中のトップが、名人に挑戦することが出来るのです。
その順位戦のなか、ある日は、対局終了後その場で動けなくなり、
またある日は、尿を排出する管をつけて、看護婦同伴の下、対局に挑んだそうです。
そこまで執念を燃やした理由、それは、
名人になって早く将棋をやめたい
の言葉に表れています。自分の命が短いことを子供の頃から知っていたのです。
彼が20歳になったとき、師匠の下に夜中訪れます。そのときの言葉が、
二十歳になりました
でも、その真意は
二十歳まで生きることが出来て嬉しい
だったのです。
その後、故郷である広島に戻り、29歳の若さでA級棋士のまま息を引きとりました。
彼の最後の言葉、それは
2七銀
薄れつつある意識の中で、誰かと対局していたのでしょうか・・・
1983年、奨励会入会
1986年、四段
1998年、死去。
自分の命の短さを知り、急いでかけていかなければならなかった天才。
プロ生活12年という短い期間で亡くなったことを思うと無念だったろうに・・・
と涙が出てきます。
