いきなり寒くなりましたね。。
でもここで気合い入れて冬服にいきなり変えると汗だく、
ってことを毎年やってるのでまだ夏服着ています。
皆さんはどうですか?
やっとこちらの続きです。
〜前回のあらすじ〜
40歳目前に燃え尽きた私、
カレー澤薫先生の「ひとりでしにたい」を読んで
「ひとりでしぬのはいいが孤独死して目の前を歩いている虫にすら反応しない猫・福美が餓死するのは困る」と思い、
多少は社会とのつながりを求めることに。

沖縄のホテルで働いてたこともあるし旅館なら雇ってもらえるかもしれない
なんて甘い考えでいた私。
ただ、歩いて行ける距離に旅館なんて無く、
紆余曲折あって近場の病院で働くことになりました。
\危/
その仕事紹介してくれた人がすっごい強引で、
病院なんてつとまらないよー
お化け出たらやだよー
そもそも朝早いのやだよー
毎日同じ時間に出勤なんてできないよー(ダメ人間)
なんて一所懸命遠回しに断ってたんですけど
すっごいぐいぐい来られて偏財の私は断り切れませんでした
なんだったの、あの人…絶対帝旺三つくらいあんだろ…
でも結果、あの仕事がなかったら今頃まだ燃え尽きていたままかもしれない。
そのくらい、私にとって大切なことを教えてくれた仕事でした。
2ヶ月でやめましたが
余談ですがあの頃同時に終活も始めたんですよね。
銀行口座とか、パスワードとかまとめて、
私の死後福美は〇〇さんか〇〇さんへ・・・みたいな
(ちなみに本人の許可は得ていない)
しかもその書いたやつ諸々、
どこにいったか見当たらないんですよ…
終活の意味…
でも色々情報まとめておくのいいな、と思いました。無くさなければ。
私がいた病棟には、もうよくなることがない患者さんたちばかりが入院していました。
寝たきりの人、自分でかろうじて動ける人、歩ける人、
いろいろな人がいましたが、多くの人が自分で動くことができないか、動けても介助を必要とする状態。きちんと会話できる方の方が少なかったです。
ベッドから起き上がることもない状態の人もたくさんいらっしゃいました。
コロナ禍だったので面会もできないしもちろん外出もできないのですが、
コロナ禍じゃなかったら面会に来るのだろうか…と
2ヶ月しかいなかったのに、その間に歩けなくなっていく人もいたし、
もちろん亡くなる方もいたし
お話できる方とは仕事の合間にお話させていただいてたんですが、
私、健康で自由なんだなあ…
と、つくづく実感しました。
だからと言ってなにかやろう!
とはすぐには思えなかったんだけど、
自分の自由さを心から実感しました。
歩けて、自分で行きたいと思えるところにはどこにでも行けて、
会いたい人には会いにいける、
伝えることができる。
頭では分かっていたけど、
ほんとの意味でわかってなかったなあと・・・
患者さんたちのことをかわいそう、とか
憐れむ気持ちは湧かなかったです。
少なくとも意識がしっかりしている人たちで、
特に女性患者さんたちは、
人生を諦め・・・なんて悲壮感はなくて、
皆さん一日一日をひたすら生きているように見えました。
ちなみに辞めた理由は、なんか知らないけど働いてる階も違うしそんなに関わりもなかった先輩看護師にめちゃくちゃ嫌われてたからです
なんか年に一度くらい知らない人から嫌われるってことがあるんだけど、よくそんな知りもしない人のこと嫌いになれますよね。暇なのかな。
ちなみにあいつ嫌い!は、自分の中の思い込みに気づくチャンスですよ。
詳しくは、女神ワークやってみてくださいね
って言えばよかったわ。
その人以外はみんないい人たちだったのでなんか癪でしたけど、
その頃は近所に知り合いもできてたので、
なんかあっても発見してもらえるだろう・・・とさっくり辞めたのでした。
さてそんな2ヶ月が終わって落ち着いたところで
ふっと、ある願望(欲望?)がうまれてきたのです。
すみませんけどまたつづく。
息子の氏神様参拝と車のご祈祷行ってきた