ゆっくりしていますと学校の事 | まったり日本

まったり日本

5年の中国駐在の中で妊娠し、出産。息子は帰国後も自分を中国人だという位、日本語ができませんでした。

小1の7歳の時にギフテッド?と思い、専門医にギフテッド認定を受けた息子。
インターに通いながら彼の日々の葛藤を書いていきます。


中国から4歳の時に帰国した9歳の息子は、高IQでギフテッドのインターナショナルスクール生。

インターの転校後ギフテッドを学校に話したら転校先の学校に行けるようになりましたが、学年が代わり3週間後全身に湿疹がでて行けなくなりました。


会社員の仕事はいきつつ、自営業の仕事はセーブしている状況ですが、少し楽になりました。

気持ちの持ちようなのかな凝視


息子は通っていたインターを辞めようとしましたが、ギフテッドの息子専用のスペシャルチームを組んでくださり、学校に行けるように校長自ら提案してくれました。


いろいろ疲れてしまっていた私でしたが、話し合いの提案を聞いて涙が出るほど嬉しかったです。

私だってギフテッドの事わからないのに、わからない人にはもっとわからないですものね。


息子の主治医と学校で、どのように伸ばしていくかを決めてくれるようになりました。

息子が苦手なものもホームティチャーがまとめて下さってあり、4月の3週間で息子をよく観察して下さって、ギフテッドの事もよく勉強されたのだと実感しました。


今の息子は

初日、20分の保健室滞在

2日目、50分の保健室と放課後のクラスルーム滞在

3日目、朝から担任と2人で話し、お昼までクラスで滞在


を過ごしました。

楽しかった爆笑と息子が興奮気味なのがとても良かったです。最初の日は学校に入るのも渋り、泣いていきたくないと言っていたのですが、学校側の受け入れ態勢が物凄く優しく息子も心の氷が溶けたようでした。


少しずつ、これから休んでも良いから無理無くいけたらいいなと思っています。


学校が全てでもないし、行かなくても良いのだけれど、私が仕事をしているのでやはりまだ1人で家で待つことはできないという理由は大きいですね。もし待つとしたら、待つ時間も朝から夕方までなので長いですよね。小学生にしては。


でもそれでもダメなら考えるしかないですが悲しい


ただ、初めてギフテッドというものを理解してくれようとして、学んで下さり、その対応をしていきたいと言われたのは初めてで、何も困ってる事を言わないでやめるよりもきちんと話して理解してくれた事は本当によかったです。


息子にとってHappyな毎日、それしか求めることはありません。